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「昭和8年」を起点に、ジャック・フィニイよろしくモダン都市を散策するブログ

昭和5(1930)年

龍膽寺雄『甃路(ペエヴメント)スナップ ー夜中から朝まで』を読む(最終回)

いつだって都市は、ひとの心を浮き立たせる。心を浮き立たせるような仕掛けをさまざま持つことで、街は都市になる。心を浮き立たせないような都市は、だから都市とは言えない。ときに、心を浮き立たせる仕掛けは作為的に過ぎるとただ薄ら寒いだけの場所に成…

龍膽寺雄『甃路(ペエヴメント)スナップ −夜中から朝まで』を読む 第11回

いよいよ<最終章>にたどりついた。じっくり腰を据えて読んでゆこう。 宮城の森の上に魂の様に浮かんだ朧な春の満月。 二時。 三時。 四時。 大都会の闇の夜は、今や魑魅魍魎の世界です。 【休 符】 おもしろい。どうってことのない短いパートだが、とても…

龍膽寺雄『甃路(ペエヴメント)スナップ ー夜中から朝まで』を読む(第10回)

ここで読んでいる『甃路(ペエヴメント)スナップ』は、モダンな相貌に変身を遂げつつあった昭和5(1930)年当時の東京にさまざまな角度から光をあて、路上(ペエヴメント)に立ち現れる光景を切り取ってみせたポートレイト集である。「夜中から朝まで」と…

龍膽寺雄『甃路(ペエヴメント)スナップ ー夜中から朝まで』を読む 第9回

丸の内から、ふたたび丸の内へ。未来的な中央電信局の建物から歩きはじめたぼくらは、数寄屋橋、裏銀座のカフェー街に寄り道し、ひっそり寝静まったかのようにみえる深夜の丸の内へと帰還する。 #アウトロダクション 丸の内のビジネス・センタアは朧月夜を…

龍膽寺雄『甃路(ペエヴメント)スナップ ー夜中から朝まで』を読む(第8回)

時計の針は、そろそろ深夜0時を回ろうというところ。さて、数寄屋橋をあとにして、さっそく前回(第7回)読み残したパートへと歩みを進めよう。 まずは「新興芸術派」に属する作家たちの〝友情出演〟による、たいそうにぎやかな幕間劇をどうぞ。 #インタ…

龍膽寺雄『甃路(ペエヴメント)スナップ ー夜中から朝まで』を読む(第7回)

復興期の東京に出現した数多くのビルディングのなかでも、とりわけ〝フォトジェニック〟という点で図抜けていたのは、丸の内にあった東京中央電信局だったのではないか。龍膽寺雄は、夜空に屹立するその中央電信局のビルディングを都市の〝頭脳〟に見立てる…

龍膽寺雄『甃路(ペエヴメント)スナップ ー夜中から朝まで』を読む(第6回)

舞台はもうひとつの「ギンザ」、「山の手のギンザ」新宿へ。 かつて、「山の手のギンザ」といえば神楽坂の専売特許であった。関東大震災の被害を免れた神楽坂は、夜店が並ぶころともなれば銀座をもしのぐにぎわいを見せたと野口冨士男も書いている(『私のな…

龍胆寺雄『甃路(ペエヴメント)スナップー夜中から朝まで』を読む(第5回)

話は前回のつづき。夜の銀座。ふたつめの#エピソード。 ケララ、ケララ、ケララ! 自動車が尾張町の角でグイと急速に輪を描くと、女はひとつクッションに揺すぶられてた男の膝を、繊(ほそ)い指で突ッつくんです。 『ちょいと、どこへ行くのよ?』 『識(…

龍膽寺雄『甃路(ペエヴメント)スナップ』ー夜中から朝まで』を読む(第4回)

ふたたび、ぼくらは銀座へと舞い戻る。 #イントロダクション モダン都市東京の心臓ギンザは、夜と一緒に眼をさます。 真紅・緑・紫。 眼の底へしみつくネオンサイン。 イルミネエションのめまぐるしい点滅はシボレエの広告塔。 パッ! トロリイに散る蒼いス…

龍膽寺雄『甃路(ペエヴメント)スナップ −夜中から朝まで』を読む(第3回)

引き続き、龍膽寺雄の『甃路(ペエヴメント)スナップ』を読んでいる。 今回取り上げるのは、ひとつのエピソード。前回、思いのほか長くなってしまったため中断せざるをえなかったのだが、本当ならこのエピソードまでを一区切りとしてまとめて紹介したかった…

龍膽寺雄『甃路(ペエヴメント)スナップ ー夜中から朝まで』を読む (第2回)

『甃路(ペエヴメント)スナップ』は、《世界大都會尖端ジャズ文學》叢書の第一弾として昭和5(1930)年5月に出版された『モダンTOKIO円舞曲』のなかの一篇である。作者は、龍膽寺雄。この『甃路スナップ』を、じっくり味わうように読み込むことで昭和5(…

龍膽寺雄『甃路(ペエヴメント)スナップ ー夜中から朝まで』を読む(第1回)

重箱の隅をつつくように、少しずつ、龍膽寺雄『甃路(ペエヴメント)スナップ ー夜中から朝まで』を読んでゆく。 【はじめに】 〝モダニズム文学の旗手〟として知られる龍膽寺雄(りゅうたんじ・ゆう)だが、その91年におよぶ人生の長さに比して、小説家とし…

神保町の旧「相互無尽会社」ビルディング

春。アスファルトの裂け目から、一輪のタンポポが顔をのぞかせている。旧「相互無尽会社」のビルディングも、神保町の片隅にそんなけなげな姿でたたずんでいた。 関東大震災の復興期にあたる昭和5(1930)年に竣工したこの建物は、「あたらしい東京」を象徴…

「子供之友」昭和5年6月号の岡本帰一

板橋区立美術館で「描かれた大正モダン・キッズ〜婦人之友社『子供之友』原画展」をみた。学生だったぼくは、松本竣介や長谷川利行といった名前をこの美術館で知り、また〝池袋モンパルナス〟界隈の有名無名の洋画家たちの作品の多くとここで出会った。まだ…

茂田井のパリと日本人会

茂田井武の目玉でもって見たならば、いったい〝1930年の巴里〟はどんなめくるめく世界となってぼくらの目に映るだろうか…。銀座でみた何枚かの『ton paris』からの原画は、たしかにそんなぼくの欲求を少しだけ満たしてくれたけれど、空腹のときにひと匙のス…