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ふりだしに戻る

「昭和8年」を起点に、ジャック・フィニイよろしくモダン都市を散策するブログ

昭和9年大晦日の東京會館

『魔都』の東京を歩く

久生十蘭の小説『魔都』にはさまざまな建物が登場するが、それらのほとんどは昭和初期の東京に実在した建物である。意図的に実在する地名やランドマーク、人物や事件を巧みに織り込むことで、作者は、フィクションを読ませつつ嫌でも現実を連想せざるをえないような仕掛けをほどこしたのだと『久生十蘭ー「魔都」「十字街」解説』(右文社)で海野弘は言う。

 

たとえば、『魔都』の幕開けはこんな具合だ。

 

甲戌の歳も押詰まって、今日は一年のドンじりという極月の卅一日、電飾眩ゆい東京會館の大玄関から、一種慨然たる面持で立ち現れて来た一人の人物。鷲掴みにしたキャラコの手巾(ハンカチ)でやけに鼻面を引っこすり引っこすり、大幅に車寄の石段を踏み降りると、野暮な足音を舗道に響かせまがらお濠端の方へ歩いて行く。

 

その「電飾眩ゆい東京會館」の建物は、大正11(1922)年の11月1日に竣工している。設計者は田辺淳吉。東京帝都大学では、「東京駅駅舎」の設計者として知られる辰野金吾に師事している。「社交場」にふさわしい華やかな外観だ。残された写真からはよくわからないが、装飾には最先端の「セセッション式」も採用されていたという。屋上には、噴水をそなえる西洋式の庭園まであった。

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『魔都』の舞台となる昭和9(1934)年には、フランスでの3年間の修業から戻ったばかりの帝国ホテルの料理人、田中徳三郎を迎え日本初の鮮魚介料理店「プルニエ」をオープンする。その田中が持ち帰ったレシピにもとづく「舌比目魚洋酒蒸(ソールボンファム)」は、「プルニエ」の「名物」として現在に至る。

 

「今夜は三人でプリュニエへ飯を食いに行きましょう。五時にホテルのロビイで待っています。…」)

 

時代の空気に独特の鋭い嗅覚をもっていた久生十蘭は、さっそくここでもその「プリュニエ(プルニエ)」を登場させている。

ところで、2006年10月26日の東京會舘ブログに興味深い記事をみつけた。昭和9(1934)年12月29日(『魔都』に登場する東京會館の2日前!)の「プルニエ」のメニューがそれ。土曜日のランチメニューのようだ。

 

Consomme Madrilene コンソメスープ 40銭

Grilled Woodcock 山鴨鋼焼 1円50銭

Potato Salad ポテトサラド 30銭

Fraise Melba 苺アイスクリーム 60銭 

 

そのころの映画の入場料が50銭(昭和8年頃)、カレーライスの値段が一杯15銭(昭和11年頃)だったことを思えば、やはり庶民には縁のない場所だった。

 

さて、冒頭その東京會館から「一種慨然たる面持で立ち現れて来た」人物とは、夕陽新聞社の記者古市加十である。「同業者の忘年会」に「『夕陽新聞』を代表して」出席した古市だったが、しょせんタブロイド紙の一記者、周囲からの冷たい仕打ちに腹を立て「奮然と席を蹴って東京會館を飛び出し」てきた。かなしいかな、そもそもが「場違い」なのである。「チェッ、月かァ、馬鹿にしてやがる」空を見上げて悪態をつくと、そのまま有楽町の方へと歩き出す…

 

いっぽう、優美な姿でお濠端にたたずむ東京會館の建物ではあるが、その歴史はさながら「悲劇のヒロイン」のようにドラマティックである。まず、竣工から一年もたたない大正12(1923)年9月1日、忌まわしいあの関東大震災に見舞われ、火災はまぬがれたものの半壊、営業中断を余儀なくされる。大規模な修復を経て営業再開にこぎつけたのは3年半後、昭和2(1927)年4月のことである。昭和15(1940)年、大政翼賛会の本部として接収され営業中止に追い込まれたのは、時代の要請とはいえ不幸としか言いようがない。戦後はそのままGHQに接収され「アメリカンクラブ・オブ・トーキョー」に。昭和27(1952)年7月になってようやく通常営業を再開する。そして、この数奇な運命をたどった建物は、建て替えに伴い昭和45(1970)年ひっそりと姿を消したのだった。

 

『魔都』の東京からずいぶんと遠くまできてしまった…。『魔都』の作者である久生十蘭は、昭和15(1940)年岸田國士大政翼賛会の文化部長に就くと文化部嘱託となる。世話になっていた岸田からの勧めとあって、それがなにを意味するのかあまり深く考えることもなく引き受けたのではないか。北海道出身で「馬鹿には見えぬ代わり決して優雅にも見えぬせせっこましい」新聞記者(海野弘は、自身をモデルにしているのではと推測している)が嘲笑を浴びておもてに弾き出されたこの建物に、その小説の数年後「文化部嘱託」という身分でたびたび通ったにちがいない。現実とはなかなかに皮肉なものである。

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久生十蘭が、大政翼賛会宣伝部のために本名の阿部正雄名義で書き下ろした戯曲『村の飛行兵』。「素人に出来る移動演劇」というサブタイトルがついている。