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「昭和8年」を起点に、ジャック・フィニイよろしくモダン都市を散策するブログ

川瀬巴水「夜之池畔(不忍池)」にモダニストの視線をみる

たとえて言えば、昭和8(1933)年とその前後数年はさながら「時代の汽水湖」のようである。そこでは淡水と海水のかわりに、江戸〜明治の封建主義と近代主義とが、大正デモクラシー軍国主義とがせめぎあい、混じりあい、独特の「汽水域」をなしている。そして「モダニスト」とは、かつてそんな「汽水域」に生息した短命な希少種のことなのではないか。「モダニスト」は、ふたつの時代を同時に生き、また魚のように自由に行き来する。

 

浮世絵師・川瀬巴水のまなざしもまた、紛れもなくそんな「モダニスト」のものである。初期の作品『東京十二題』より「雪に暮るゝ寺島村」。しんしんと雪の降る寺島村、現在の墨田区東向島の情景。川瀬によれば「黙阿弥の世話狂言の舞台面を想ひ浮べながら」筆を執ったという。

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「雪に暮るゝ寺島村」大正9(1920)年

 いかにも浮世絵らしい大胆さと言ってしまえばそれまでだが、それにしても、どこか奇妙な構図ではある。この風景の中では「異物」のような存在である「電信柱」が、どっかり中央に居座り、ざっくりと画面を二分してしまっている。あえて「消去」してしまわなかった理由は、やはりそこに「現在」の刻印を残しておきたかったからだろうか。それは、家々の窓の煌々とした「電気」の明かりとそれを映した水面からもわかる。この絵には、ふたつの時代が同居している。ぼくらはその絵のどこに目を置くかによって、心のままふたつの時代を行き来することができるのだ。

 

『夜之池畔(不忍池)』は、昭和7(1932)年の作。全体を、春の夜のおぼろげな空気が包み込んでいる。弁天島越しに見えるのは上野広小路あたりだろうか。弁天堂の屋根の上にちらりと見えるネオンは「仁丹塔」のものらしい。とすると、中央の巨大な建物は松坂屋デパートだろう。松坂屋上野店は昭和4(1929)年、震災復興期に誕生し、地下には地下鉄駅を備えた上野の新時代のランドマークである。

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『夜之池畔《不忍池》』昭和7(1932)年

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戦前の絵はがき 上野公園より広小路方面を臨む 中央右寄りに仁丹塔が見える(引用元 くすり屋本舗ブログ

 

人工的な光とそれを映す水面という表現は、「雪に暮るゝ寺島村」から12年後に制作されたこの「夜之池畔」ではさらにオルタナティヴな進化を遂げている。光源は真紅のネオンライトに代わり、水面はさざなみの揺れも手伝ってオレンジ色の焔のようにさえ見える。震災以前から変わらぬ風景と復興期の現在を象徴する風景というふたつの時代の風景がそこに併存し、微妙に混じり合い、独特のモダンな抒情が顔をのぞかせる。いまでは、川瀬巴水の浮世絵はしばしば「郷愁」というキーワードをもって語られるが、すくなくともこの時期の作品からはただひたすらに過去を懐かしんでいるような印象は感じられない。それにしては、彼の描くネオンライトは甘く輝き、過去の情景になじんでいる。そう、あまりにも美し過ぎるのだ。だからこそ、ぼくは川瀬巴水の作品を観ていると、まるで自分もまた「汽水湖」の生きものであるかのようにすーっと昭和初期の気分に溶け込んでしまうのである。

 

戦後に制作された「増上寺之雪」。9枚の版木を用い42回も摺りを重ねたという力作である。元和8(1622)年に建立された芝増上寺の三解脱門の鮮やかな朱色と降り積もる雪の白との取り合わせは、長い間変わることなく多くの人びとの目を楽しませてきた美しい情景である。けれども、いかにもモダニストらしい「破調」の美学はこの作品でも健在だ。画面左下に並ぶ傘をさした3人は、おそらく都電の到着を待っているのだろう。一様に電車がやってくる方向を見つめながら、じっと無言のままたたずんでいる。そして画面の中央を、今度は「雪に暮るゝ寺島村」とはちがい水平に「異物」が横切っている。電車の架線だろう。ここでも観るひとは、一枚の版画の中にふたつの時代のせめぎあいを感じざるをえない。

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「増上寺之雪」昭和28(1953)年

 

と同時に、この昭和28(1953)年という戦後の作品を観ているぼくは、そこに 「雪に暮るゝ寺島村」や「夜之池畔」とはちがう「なにか」を感じてしまう。江戸時代に建てられた増上寺の山門は、震災や戦火をくぐり抜けて生き残った。そしていま、それは冷たい雪にじっと耐えそこにたたずんでいる。生命の逞しさ。それを、べつだん巴水のメッセージだとはかんがえない。ただ、それを目にした戦後の日本の人びとがそっと自分の姿を重ね合わせたとしても不思議ではない、そう思うだけだ。