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「昭和8年」を起点に、ジャック・フィニイよろしくモダン都市を散策するブログ

深川の村林ビルディングから久生十蘭のいた函館へ

日本橋から茅場町を抜け、大正15(1926)年に完成した「復興橋梁」 のひとつ「永代橋」を渡って深川へと入る。すると、「佐賀一丁目南」交差点の一角に、規模はちいさいながら重厚な雰囲気をもつビルディングが姿をあらわす。「村林ビルディング」である。昭和3(1928)年に竣工した関根要太郎(*)設計による建物だ。ロマネスク風の造りで、個人的には、どこか陰鬱な印象がある。けれども、このたてものはまた、あたかもタイムトンネルのようにぼくの心を「久生十蘭のいた函館」へと連れ去る。

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この関根要太郎というひとは、実弟で、やはり建築家であった山中節治とともに数多くの建築作品を函館に残している。不動貯金銀行函館支店や函館海産商同業組合事務所といったモダンな建築をきっかけに地元の有力者と知己をえたところに、大正10(1921)年、函館の街を大火が襲う。復興にあたって、関根=山中兄弟に数々の依頼が舞い込んだのも当然だろう。

 

そうしたなかのひとつに、「旧亀井喜一郎邸」がある。施主の亀井喜一郎は函館貯蓄銀行の支配人をつとめる地元の名士で、この邸宅は大正10(1921)年に竣工した。久生十蘭が19歳のときである。なぜここでいきなり久生十蘭の名前が出てくるかというと、なにを隠そう十蘭の生まれ育った家こそは、この亀井家の隣りだったからである。そして、亀井家には久生十蘭より5歳年下の男の子がいた。後に文芸評論家となる亀井勝一郎だ。 

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亀井喜一郎邸 画像引用元:関根要太郎研究室@はこだて

海野弘久生十蘭『魔都』『十字街』解読』(右文書院)からの孫引きになってしまうが、少年時代の思い出を回想した亀井勝一郎による文章がおもしろい。

久生十蘭(本名は阿部正雄氏)家は私の隣にあったが、後に私が文学を好むようになったとき、私の父は「決しておとなりの正雄ちゃんのような不良になるな」とコンコンと戒めた。学校をサボってベレー帽を被り、マンドリンをさげてぶらつくような中学生は、当時十蘭氏ただひとりであったからだ。(「北海道文学の系譜」読売新聞1954年8月16日)

 『日本探偵小説全集8・久生十蘭集』を手元に引き寄せ、巻末の年譜をみてみる。19歳になった久生十蘭は、函館新聞社の記者をしながら演劇に夢中になっていた。翌年には役者として「函館素劇研究会」の公演に参加したり、また童話劇の演出を買って出たりしている。そんな十蘭の姿を、亀井勝一郎少年はこのピンク色をした屋敷の窓からどんな思いで見つめていたのだろうと、しばしかんがえる。

 

ところで、この関根要太郎設計による「亀井喜一郎邸」の写真をみたとき、まっさきにぼくが思い出したのはヘルシンキの南、海辺の高級住宅地エイラに点在する「ユーゲントシュティール(ユーゲント様式)」の家々だった。北欧の建築史にくわしい伊藤大介によれば、これらフィンランドのユーゲントシュティールの建築を担っていたのは、「専門の建築教育を受けたいわゆる建築家とは異なり、本来は建築家の下にあって現場監理をおもな業務としていた」建築工匠(ラケンヌス・メスタリ)たちだったという(『アールトとフィンランド〜北の風土と近代建築』丸善)。彼らの手がける建築の特徴はというと、「当時の建築家たちの生み出した都市住居のデザインを換骨奪胎して、それをいわば流行に乗せた」ところにあるが、かといってそこに「ヨーロッパ中央のアール・ヌーヴォーのような豊かな装飾や繊細な表現が見られるわけではない」(引用は前掲書)。ヨーロッパの北のはずれに位置するフィンランドと、ヨーロッパから遠く離れた島国である日本。フランスやドイツで花開いた最新様式が、ある種「徒花」のように似通って咲いたとしても不思議ではないだろう。フィンランドの「建築工匠」とはちがい、関根要太郎は「専門の建築教育を受けた」プロの建築家にはちがいないが、その作風はロマネスクやユーゲントといった様式から零(こぼ)れ落ちるほどの表現への熱い意欲(それを〝ロマンティック〟と呼んでもいい)を感じさせる。

 

地元の名士の家で何不自由なく育ちながら、かえってそれゆえ〝危険〟なものに心惹かれ接近していった亀井勝一郎少年、いっぽう、その端正な文体をして読む者を思いがけず深い闇へと連れ去る久生十蘭… そんな 〝青春(ユーゲント)〟が熟れていた大正末から昭和初期にかけての函館の街で、その中心にあったのがほかならぬこの関根要太郎のピンク色の屋敷だったのではないか。

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ヘルシンキ・エイラ地区に点在するユーゲント様式の住宅(筆者撮影 2005年ごろ)

 

*関根要太郎に関心を持たれた方は、ぜひ下記の優れたサイトをご覧ください

fkaidofudo.exblog.jp