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「昭和8年」を起点に、ジャック・フィニイよろしくモダン都市を散策するブログ

機能美の果実としての「聖橋」

御茶ノ水の「聖橋」は、復興橋梁のひとつとして昭和2(1927)年に完成した。ニコライ堂湯島聖堂、ふたつの「聖なる場所」をつないでいるからその名も「聖橋」。山田守が設計した鉄筋コンクリートによるアーチ橋は、〝印象的〟という点でも東京随一といえる。それは竣工当時も、そして現在も変わらない。

 

以下は、松葉一清『「帝都復興史」を読む』(新潮選書)からの引用。

橋長百メートルの鉄筋コンクリートの拱橋は脚下に御茶ノ水の流れありて当に復興帝都の新名所。

 

『帝都復興史』 からの転載と思われる、おそらく竣工後まもない「聖橋」の写真と、平成27(2015)年の「聖橋」の写真とを並べつくづく眺めてみる。

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車道の両側に、きっちり区別して歩道がつくられた関係で道幅はやや狭くなったような印象はあるものの、ほぼ変わりなくその姿をいまに残しているのはとてもうれしい。そしてなにより、ふたつの写真を並べると、当初からこの橋が車道と歩道とを明確に区別することを前提にデザインされていたことがわかる。馬車がのろのろ荷車を引いていた時代にあって、山田守がいかに将来を見据えてこの仕事と取り組んでいたか。90年近く姿を大きく変えることなく「聖橋」が存在するのは、この山田守の「先進性」あってこそ。つまり、変える必要性が生じなかったわけである。まったくもって、「美」と「機能性」とをあわせもった稀有の橋である。