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ふりだしに戻る

「昭和8年」を起点に、ジャック・フィニイよろしくモダン都市を散策するブログ

桃乳舎のこと

 ふと足をとめ、しばし建物を愛でる。道ばたに咲いた可憐な草花を愛でるように、ビルの谷間にひっそりとたたずむ古い建物を愛でるのだ。こんなところにこんな花が! そのちいさな発見は心を弾ませる。

 まだあの花は咲いているだろうか、不意に思い出しわざわざ遠回りしてその消息をたしかめにゆくこともある。そのままの姿で風に吹かれているとホッとする。無惨にも踏み倒されていたり、あるいはだれかに手折られてしまっていることもすくなくない。そんなときには、まるで心にぽっかり穴があいたような気分になる。

 建物だって同じ。大通りの、名の知れた建築家が手がけた「作品」であれば、なんらかのかたちで保存される道もあるだろう。でも、裏通りの名もなき建物はそうはいかない。老朽化、代替わり、再開発…… ちいさくて古い建物はいつ消えても不思議ではないし、またとても悲しいことだけれど、消えたところでそれを惜しむようなひともまた、あまりいないのが現実だ。だからこそ、ぼくは「愛でる」のだ。そして、「愛でる」ことには遠からず訪れるであろう「さよなら」がふくまれる。もう、次に訪れたときには会えないかかもしれない。そういう思いが、その建物をいっそう愛おしいものにする。

 

 作家の芥川龍之介は「牛乳屋のせがれ」であった。「牛乳屋のせがれ」などときくと反射的に「庶民的」というイメージが思い浮かび、芥川に親しみを抱きそうになるが、子供のころの思い出をふりかえった彼の文章を読むと、どうやらそれはまちがいのようだと気づく。

 

 僕の父は牛乳屋であり、小さい成功者の一人らしかった。僕に当時新らしかった果物や飲料を教えたのは悉(ことごと)く僕の父である。バナナ、アイスクリイム、パイナアップル、ラム酒、――まだその外にもあったかも知れない。僕は当時新宿にあった牧場の外の槲(かし)の葉かげにラム酒を飲んだことを覚えている」(『点鬼簿』)。

 

 それもそのはず、龍之介が生まれた当時(明治25)、芥川の実父は築地の外国人居留地に牛乳やバターを納品していた「耕牧舎」という牛乳屋で支配人のような立場にあったらしい。外国人や、早くから西欧化した暮らしをしていた華族や士族、裕福な実業家らをお得意様にもつ牛乳屋は、必然的に西欧文化と接触する機会の多いハイカラな商売であった。ちなみに、この耕牧舎を経営していたのは実業界の大立者、渋沢栄一らで、その功績を認められた芥川の父は後に新宿に牧場をひらき独立している。芥川の回想に登場する「当時新宿にあった牧場」というのがそれである。

 

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麴町區の大名屋敷跡にできた阪本牛乳舗 画像引用元:港区ゆかりの人物データベース

 

 また、明治維新後の東京で、行き場を失った「士族」たちがやりはじめた商売が「牛乳屋」だったともきく。広大な大名屋敷の跡地で牛を飼い、その乳を絞り売って歩いた。そのため、牧場の場所も麴町、日本橋、神田、京橋などのいわゆる下町の一等地にかたよって存在していた。

 「元園町に接近した麹町三丁目に、杵屋お路久(ろく)という長唄の師匠が住んでいた」と岡本綺堂は回想する。明治43年からその翌年にかけて俳句雑誌「木太刀」に掲載された聞き書きの一節である。お路久は界隈でもっとも繁盛した長唄のお師匠さんで、美人の娘が近所の評判であったが、立て続けにふたりとも病で亡くなってしまう。そして、「その跡は今や坂川牛乳店の荷車置場になっている。長唄の師匠と牛乳商(ぎゅうにゅうや)、自然(おのずから)なる世の変化を示しているのも不思議である」。これはたぶん、旧旗本の阪本當晴が東京に初めてひらいた「阪本牛乳舗」のことと思われる。日露戦争後の「世の変化」を象徴する出来事として「牛乳屋」が登場するのがいかにもおもしろい。

 

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 日本橋小網町の路地裏に、喫茶軽食「桃乳舎」はいまもひっそりと息づいている。以前、明治の終わりから大正の初めにかけこのあたりに実在した幻のカフェー「メイゾン鴻乃巣」の記憶を求めて歩き回ったとき、偶然出くわしたのがこの建物だった。オフィスビルに押し挟まれるように静かにたたずむその姿は、ほとんど奇跡といっていい。

 ネットから得た情報によると、その不思議な店名はここがもともと明治22年創業の「牛乳屋」であったことに由来しているという。江戸時代の地図を重ねれば、ちょうど酒井雅楽頭(さかいうたのかみ)のお屋敷があったあたり。ということは、あるいは先代もまた牛乳屋に「転職」したクチだろうか。ちなみに酒井雅楽頭といえば、落語好きには「三味線栗毛」に登場するお殿様としておなじみである。

 牛乳屋を廃業した後、ミルクホールなどを経て現在のような食堂に落ち着いたらしい。そして、昭和8(1933)年になって正面上部の「桃」のレリーフが可愛らしいこのビルディングを建てた。

 

 ある日の午後、遅い昼ごはんをとろうと「桃乳舎」を訪れた。近所で働いているとおぼしき歳も格好もまちまちな男たちが数名、新聞を読んだり携帯をいじったりしながらみな黙々と食事をしている。ぼくはといえば、チラチラとテレビに映し出された時代劇を眺めながら注文した「ポークソテーライス」600円を頬張る。そこに流れていたのは、ごくごくあたりまえの町の食堂の空気。

 どんな道の端っこだろうと、根を生やした土のうえに咲いた花ほどうつくしい花はない。建物だっておなじ、そこの土に根を生やし呼吸している建物はうつくしい。

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