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「昭和8年」を起点に、ジャック・フィニイよろしくモダン都市を散策するブログ

レーモンドの教文館・聖書館ビル

昭和8(1933)年

 『日本近代建築の父アントニン・レーモンドを知っていますか〜銀座の街並み・祈り』という展示が、いま銀座の老舗書店・教文館でひらかれている。

 

 近藤書店・洋書イエナ、福家書店旭屋書店……街からどんどん〝活字〟が駆逐されてゆく銀座にあって、いまや教文館には唯一残された〝良心〟といった趣がある。銀座に行けば、だからたいがいは教文館も覗くし、もちろんそれがアントニン・レーモンドが手がけた建物であることも知っていた。にもかかわらず、現在の姿をみるかぎりこの建物にそれほど惹かれもしないのはどうしてなのか。

 カーソルを「昭和8(1933)年」に合わせてみる。教文館・聖書館ビルが竣工した年だ。

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画像引用元:小冊子「教文館ものがたり」

 銀座通りに面した「教文館ビル」の83年前のその姿は、なんと美しく、またモダンなのだろう。エントランスには控えめながら印象的な装飾が施され、階上には、現在は失われてしまったがアールデコ調の塔がそびえ立っている。

 写真でみるかぎり、それは設計までしたものの工事途中(1930年ごろ)で手を引くことになった築地の聖路加国際病院の「塔」、そして昭和13(1938)年に竣工した西荻窪東京女子大学礼拝堂の「塔」とともに、いわば「3兄弟」ともいえる造型を備えているのがわかる。

 いまも「長男」と「末っ子」が健在であることを思うと、「次男」の不在がかえすがえすも残念である。ちなみに隣り合わせに建つ「聖書館ビル」の階上にも同様の「塔」が存在していたが、こちらは航空写真でみるとどうにかニキビの跡のような凸凹を確認することができる。

 

 展示がおこなわれている最上階のウェンライトホールから、同時開催の『教文館ものがたり〜明治・大正・昭和・平成の130年』を観るため3階へと移動した。震災や戦争、そして経営難など、幾度もの危機を乗り越えてきた教文館のあゆみを多数の写真を通じて知ることができるのだがなかなかこれが興味深かった。というのも、例の「塔」が失われてしまった経緯がわかったためである。

 昭和31(1956)年、武藤富男なる人物が専務として招かれる。当時「キリスト新聞社」の副社長であった武藤は、裁判官出身で旧満州国では官僚も勤めたほどの実力者。その腕を買われ、経営危機に直面した教文館を再建させるための抜擢であった。その期待に応え、就任後6年をかけて武藤は経営を軌道に乗せることに成功するのだが、そうした再建策の一環として打ち出されたのが屋上に広告塔を設置することであった。戦後の経済成長期、しかも賑わう銀座の一等地ということをかんがえれば、当然出るべくして出た方策といえるだろう。

 昭和33(1958)年ごろに撮られた写真がある。

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 画像引用元:同上

 教会建築を思わせる塔は姿を消し、いかにも昭和の高度経済成長期らしい巨大な商業広告に取って代わられている。一方、「聖書館ビル」の塔はまだそのままの姿をとどめているのがわかる。

 大本営発表とは裏腹に低迷の続く日本経済を反映し屋上から巨大な広告塔も姿を消したいま、2016年、「教文館ビル」の姿はずいぶんと寒々しく映る。せめてあのアールデコ調の塔があったならと思わずにはいられないが、時代時代の状況を赤裸々に映し出す「教文館ビル」を、その意味で「生きている」建築と呼ぶことはできるかもしれない。

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