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ふりだしに戻る

「昭和8年」を起点に、ジャック・フィニイよろしくモダン都市を散策するブログ

神保町の旧「相互無尽会社」ビルディング

昭和5(1930)年

 春。アスファルトの裂け目から、一輪のタンポポが顔をのぞかせている。旧「相互無尽会社」のビルディングも、神保町の片隅にそんなけなげな姿でたたずんでいた。

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 関東大震災の復興期にあたる昭和5(1930)年に竣工したこの建物は、「あたらしい東京」を象徴する建築物のひとつとして都市美協会編『建築の東京』(昭和10(1935)年)のなかでも紹介されている。施工は安藤組。現「安藤ハザマ」の前身である安藤組は、これに先立つ大正14(1925)年には分離派建築会の山田守と組み彼の意欲作である東京中央電信局の施工も手がけている。
 この旧「相互無尽会社」のビルがあるのは神保町2丁目の通称「さくら通り」沿い。神保町の古書店街になじみのあるひとなら、「矢口書店の角を曲がったすこし先」と言えばピンとくるのではないだろうか。4階(一部5階)建てのビルそのものはごくこじんまりとしたものだが、スクラッチタイル貼りの端正な外観や抑制のきいた装飾からはいかにも金融関係に似つかわしい「実直さ」が伝わってくる。松葉一清の『帝都復興せり!〜『建築の東京』を歩く』(平凡社、昭和63年)によれば、かつては屋根にスパニッシュ瓦がのっかっていたようだが、残念ながらいまは改変されていて見ることができない。

 

 ところで、この〝渋い〟ビルディングが『建築の東京』に掲載されたのはどのような理由あってのことだろう? 

 ひとつには、このビルディングが「復興期」を象徴するひとつの要件をみたしていたことが挙げられる。それはなにかというと、「不燃化」というキーワードである。関東大震災で焦土と化した東京にあって、「あたらしい時代の建築」にはまずなにより徹底した「不燃化対策」が求められた。じっさい、『建築の東京』に取り上げられた建物を見るとその様式こそ多種多様であるが、「不燃」という点では共通している。たとえば、浅草の「仲見世」などははたして「あたらしい東京」を代表する建築物にあたるのだろうかなどとつい考えてしまいがちだが、じつのところは大正14(1925)年の鉄筋コンクリート造、まさに「伝統的商店街の不燃化」という点で「あたらしい」のである。この「不燃化」にかんして、『帝都復興せり!〜『建築の東京』を歩く』の著者である松葉一清はつぎのような興味深い指摘をしている。「不燃化は、その意味でも『火事と喧嘩は江戸の花』と粋がる江戸を引きずった東京の終焉を意味していた」(『帝都復興せり!』「都市の位相」140ページ)。都市の不燃化は、まちの景観やライフスタイルのみならず、その土地に暮らす人びとの心性を変えてしまうほどの意味を持っていたというわけである。

 そして、この時期に起こったもうひとつのこととして「商店のビル化」が挙げられる。以前なら木造の商家が建っていたような敷地に、小規模なビルディングが林立するようになったのだ。大型化する百貨店に客を持ってゆかれ、規模の小さい商店もビル化によって対抗せざるをえないような状況になっていたのだろうと松葉は指摘している。いわゆる「ペンシルビル」が街のそこかしこにピョコピョコと建ち始め、古い商習慣は廃れて客は合理化されたサービスをこそ求めるようになる。「江戸を引きずった東京の終焉」がここでも見てとれる。

 

 神保町の旧「相互無尽会社」ビルもまた、この時代に一気に増加した典型的な「ペンシルビル」のひとつである。角地に建っている上、となりがコインパーキングになってしまっているせいでその薄い直方体がいっそう強調されてみえる。まるで、お皿の上で倒さないと食べにくいチョコレートケーキみたいだ。

 太陽が傾き時計の針が5時を指すと、洋装のタイピストや三つ揃いに中折れ帽の会社員たちがこのケーキのような建物の中からぞろぞろ出てきて、家路につく様子を想像するのはなんとなく楽しい。電車道に出てまっすぐ帰宅する者もいれば、あるいは夜店を冷やかしたり、はす向かいにあった「東洋キネマ」に寄り道する者もあったかもしれない。昭和6(1931)年版『ポケット大東京案内』の地図によれば、白山通りから旧「相互無尽会社」ビルまでのこのあたり、かつては夜店が並びずいぶんと賑わっていたようである。この建物がここに生き残っているかぎり、ぼくはそんな〝過去〟を想像し、感じることができる。

 ひとつの建物が壊されるとき、それはただ「場所」が空白になるということだけを意味しはしない。ぼくらもまた、自分らの生きてきた「時間」から根っこを引き抜かれるのである。

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竣工当時の面影が残る画像。画像引用元:「銀行の封筒収集〜ライフワーク〜」