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「昭和8年」を起点に、ジャック・フィニイよろしくモダン都市を散策するブログ

海野十三『深夜の市長』に描かれた東京を読む

 探偵小説ともSFともつかない、そんな奇妙な味わいをもった小説『深夜の市長』が、雑誌「新青年」の誌上に登場したのは昭和11(1936)年のこと。作家の名前は海野十三(うんのじゅうざ)。逓信局の技師という肩書きをもつ一方、これが作家としては長編第一作であった。

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海野十三『深夜の市長』(昭和11 春秋社)書影

 舞台は、あきらかに東京を連想させる大都会「T市」。主人公の浅間信太郎は、司法官のタマゴとして宮仕えの身でありながら、「黄谷青二」のペンネームで探偵小説を発表する作家でもある。そんな浅間信太郎にはひとつ、風変わりな「趣味」があった。ひとの寝静まった深夜のT市を、ひとり気の向くままに散歩するのである。

 物語は、ある晩、いつものように「深夜の散歩」に繰り出した主人公が、偶然殺人事件の現場を目撃したところからはじまる。何者かに殴打され気を失った主人公が意識を取り戻すと、すでにそこには犯人はおろか死体すらもみあたらず、ただクローム側の懐中時計や新品のニッケル貨幣といった証拠の品々が散乱しているばかりであった。事件に巻き込まれることを恐れながらも、つい探偵小説家らしい好奇心から証拠の品々を上着のポケットに突っ込み現場から立ち去ろうとしていたところを、運悪くかけつけた警官にみつけられてしまう。あわやというところで、路地裏に追いつめられた主人公を救ったのはひとりの年老いたルンペン。彼こそは、夜のT市にうごめく人々からの尊敬を一身にあつめる「深夜の市長」そのひとであった。

 はからずも身の潔白を証明しなければならなくなった浅間信太郎は、ミステリアスな「深夜の市長」の言動に振り回されながらも、「銀座裏の十銭洋酒店(スタンド)ブレーキ」に入り浸っている年増女や「丸の内13号館の中庭にそびえ立つ高塔」を住居とするマッドサイエンティストら〝夜のひとびと〟の協力を得て謎解きに乗り出すのだが、その先にあったのは市政を揺るがす一大疑獄事件であった。〝昼間の市長〟と彼を糾弾する黒幕議員との対立が激しさを増すなか、無事、主人公は謎を解明し真犯人を突き止めることができるのか? また、はたして「深夜の市長」の正体とは?

 夜の都会を舞台にした冒険譚のような疾走感にくわえて、推理小説としてはいかにもこの時代の読者がよろこびそうな〝科学的〟トリックをとりいれる一方、「深夜の市長」とその一派のエキセントリックな存在感がこの作品に妖しげな幻想味とヴィヴィッドな色彩感をもたらしユニークなものにしている。そして彼ら〝夜のひとびと〟が生き生きと魅力的に描かれていることからもわかるとおり、主人公同様、作者もまた彼らの居場所としての「夜のT市」にすっかり魅了されてしまっている。では、この「夜のT市」が作者の想像から生まれたまったくの架空の都市であるのかといえば、必ずしもそうとばかりは言い切れない。むしろ作者は、1930年代になって東京がもつようになったもうひとつの「顔」に触発されて、この『深夜の市長』という小説を着想したと考えられるからである。

 大正12(1923)年の関東大震災により壊滅的な打撃を受けた東京、とりわけ下町エリアは、帝都の威信をかけた大規模な復興事業によって大きく様変わりする。この復興事業はまずなによりもインフラの整備に重点が置かれ、とりわけその「目玉」となったのが「道路」「橋」そして「公園」の3つであった。焦土と化した大地に新たに道が敷かれ、橋が架けられ、さらに公園が配置されることで、見たこともないようなモダンな顔立ちをもつ都市が誕生したのが、まさに1930年代の東京であった。

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昭和5(1930)年3月「帝都復興祭」の一コマ。復興事業によって整備された幅員44メートルの「昭和通り」を行く花電車。(画像引用元:東京都立図書館「都市・東京の記憶」 様)

 『深夜の市長』のなかにも、こうした新しい眺望はさまざまな場面に登場する。浅草の吉野町に暮らす主人公は、亀井戸(かめいど)の魔窟のそばに隠居する「深夜の市長」と面会するためには復興橋梁を通って隅田川を渡らなければならないのだし、また主人公を翻弄する奔放なモダンガール「マスミ」と再会するのは「早や咲きのチューリップ、ヒヤシンス、シネラリヤ、オブコニカ、パンズイなどを程よき位置に移し、美しい花毛氈が組立てられ」た昼下がりの日比谷公園だったりする。主人公の家にほど近い隅田川の両岸にわたる「墨田公園」、そして「深夜の市長」が暮らす亀戸の先の「錦糸公園」、いずれも帝都復興事業により整備され完成されたばかりの「復興大公園」であった。さらには、主人公の眼を通してこんなふうに活写された「道路」もまた復興事業によって誕生した新風景のひとつである。

 「僕は橋畔を離れて、こんどは広い大通りを柳島の方へブラブラと歩みはじめた。幅員(はば)が三十三メートルもあるその大通りのまん真中を、洋杖(ステッキ)をふりふり悠然と闊歩してゆくのだった。こんな気持ちのよいことはなかった。大通りは頑固に舗装され、銀色に光る四条のレールが象眼されていた。頭の上をみると手の届きそうなところに架空線がブラブラしているし、大通りの両側のポールには大宮殿の廊下のように同じ形の電灯が同じ間隔をもってずっと向こうの方まで点いて居り、それでいてあの大きな図体をもった市街電車もいなければ、バスもいない。ときどき円タクのヘッドライトがピカリと向こうの辻に閃くばかりで、こっちの方まではやってこない。この広い大道を闊歩してゆくのは、ただ自分ひとりだった」

この「幅員が三十三メートルもある」大通りとは、復興事業の一環として整備された22の路線のうちのひとつ、幹線第6号・駒形橋通(現在の通称「浅草通り」)のことであり、昭和通の四十四メートルには及ばないまでも当時としては驚嘆するにじゅうぶんな大道路であった。コンクリートで舗装され、電気の光に照らされて鈍く光る鉄製のレール…… その未来的な光景に、思わず主人公は嘆息せずにはいられない。「なんという勿体ない通り路であろうか。なんという豪快な散歩であろうか」。

 また、ある夜の散歩コースを『深夜の市長』の主人公はまるで献立を考える食通のような周到さで組み立てる。「業平橋を渡ったところを起点とし、濠割(ほりわり)づたいに亀井戸(かめいど)を抜け、市電終点猿江を渡って工場街大島(おおじま)町まで伸ばしてみよう」と。紀田順一郎も指摘しているように(講談社大衆文学館文庫コレクション版所収「解題」)、「ありきたりの魔窟などよりもこのような無機的な新興地区に耽美的な戦慄を発見」する感覚こそが海野十三の、そして「新青年」を愛読するようなモダニストたちに共通の美意識なのであって、それは1930年代の東京という「箱庭」に萌芽し純粋培養された独特の〝感受性〟の上に育まれたものであった。たとえば、復興橋梁を鉄でできた巨大な恐竜の骨のようにとらえた堀野正雄の写真、たとえば、鉄道の高架橋の下を走り抜ける市電のパンタグラフから放たれた白い閃光をとらえた藤牧義夫の木版などを見れば、この時代の都市表現が無機質なものへのまなざしから成り立っていたことは一目瞭然だ。彼ら〝マシン・エイジの申し子〟たちは、虫取り網のかわりに絵筆を、カメラを、万年筆を手に、美しい蝶々のかわりに新時代の無機質な眺望を嬉々として追いかけていたのである。

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堀野正雄『カメラ・眼×鉄・構成』(昭和7(1932)年 木星社書院)より「鉄橋」

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藤牧義男「御徒町駅」(昭和7(1932)年 木版・紙)

 ところで、1930年代という時代はまた、「夜」が〝都市の散歩者〟たちによって発見され、スポットライトを当てられていった時代でもあった。 「夜の散歩者」といってまず思い出される存在に、写真家のブラッサイ(ブラッシャイ)がいる。カメラ片手に夜のパリを徘徊し、そこを根城にする〝夜のひとびと〟をとらえた写真集『パリの夜』(1932年)はあまりにも有名だ。〝都市の散歩者〟のひとりだった海野十三もまた、好んで深夜の都会をよく歩いたという(前出「解題」参照)。昼は役所勤め、夜は探偵小説家にして都市の散歩者。海野十三に、『深夜の市長』の主人公である浅間信太郎の姿が二重写しになる。

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 ブラッサイ 写真集『夜のパリ』(昭和7(1932)年 Arts et Métiers Graphiques)

 魑魅魍魎が跋扈する闇の世界、もはや理性のおよばない現実と夢とのあわい…… これまでにも、「夜」はその時代時代でさまざまな描かれ方をしてきたが、パリのブラッサイや東京の海野ら1930年代の〝都市の散歩者〟たちは、では、それをどのように描いたか。彼らは、「夜」を昼間の世界とは異なるもうひとつの現実として描いた。そこは、より人間臭く、本能的に生きる〝夜のひとびと〟がつくりだすエネルギッシュな世界である。それは「ラジオ体操のアナウンサーの声とともに起き、夜の気象通報とともに睡るような多くのT市民たちには全く分からない別の世界」なのである。都市は眠っているわけではなく、昼間と同じように、いやむしろそれ以上に活気を呈しているのだが、ただ〝昼のひとびと〟だけがそれを知らない。ごく限られた、夜の散歩者を除いては。

 ある深夜のこと、『深夜の市長』の主人公、浅間信太郎は江東地区をさまよい歩いているうちこんな光景を目にするのだった。

「この辺一帯は物寂しい工業地帯だった。あたりには鉄が錆びたような酸っぱい空気が澱んでいた。そしてどっちを見ても、無暗に頑丈な高塀がつづき、夜空に聳え立つ工場の窓には明々と灯がうつり、それを距てた内側で夜業に熱中している職工たちの気配が感ぜられた。何の音かはしらぬが、カーンカンと金物を打つ鋭い音が冴々と聞こえるかと思うと、またザザザーッと物をぶちまけるような高圧蒸気の音がするのである」

腹を空かせた主人公は、工場の塀ぎわに「白い割烹着にレースの布を捲いた娘」が切り盛りする一軒の中華そば屋をみつけ、荒くれた職工たちにまじって熱いワンタンをすする。「若い職工の働いている工場街なればこそ、このような妙齢の娘が結構商売をしているのだ」。このとき、作者が目にしている夜の東京は、ブラッサイのパリと同質のものである。電気設備や交通網の拡充が、世界中の夜の都市にこうした「別の世界」を出現させたのが1930年代であった。

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夜の銀座風景(「アサヒグラフ」昭和11(1936)年11月11日号)(画像引用元:戦前~戦後のレトロ写真 (@oldpicture1900) | Twitter 様)

 とはいえ、この時代にあってはまだ昼の世界と夜の世界とは分断されており、よって〝昼のひとびと〟と〝夜のひとびと〟とが混じり合うことはなかった。あるとすれば、それはある種の「事故」とかんがえられた。物語の中に太陽の光を異常に恐れる奇妙な幼女が登場するが、それは〝夜のひとびと〟がけっして昼の世界では生きることのできない異なる人種であることを暗示している。それぞれの世界にはそれぞれのルールがあり、秩序があった。「深夜の市長」なる夜の世界を統率する存在を作者が思いついたのも、彼がそうした見えないルール、見えない秩序を〝都市の散歩者〟として肌で実感していたからにちがいない。

 けれども、ひとつの都市に夜と昼、ふたつの世界がそれぞれの仕方で同居するいわば〝共和制〟が長く続くことはなかった。次第に都市の夜は昼によって浸食されていき、いまとなってはたんなる〝暗い昼間〟に変質してしまったからである。海野は、物語のエンディングにおいてこうした変質を〝夜のひとびと〟の消失というエピソードによってすでに予見している。「美しく優しく静もり深く、そして底しれぬ神秘の衣をつけている」素晴らしい夜の顔を、それでも、ぼくらは1930年代の〝都市の散歩者〟たちのまなざしをとおして夢想することができる。なんて素晴らしいのだろう。

 

◎なお、この『深夜の市長』については「青空文庫図書カード:深夜の市長 でも購読することができる。