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ふりだしに戻る

「昭和8年」を起点に、ジャック・フィニイよろしくモダン都市を散策するブログ

イヴォンヌ・キュルティ(Vn)と令嬢たちのレコード蒐集

昭和7(1932)年

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 夏の夜の読書は、ミステリにかぎる。そこに描かれる寂寥とした世界にしばし浸ることで脳内からクールダウン、涼を呼ぶのだ。

 ここ最近では、雑誌「新青年」の初代編集長として江戸川乱歩を世に送りだしたことでも知られる森下雨村が、昭和7(1932)年に発表した探偵小説『白骨の処女』(河出文庫)を読んだ。帝都東京と新潟、ふたつの都市で発生したふたつの殺人事件が、精緻な推理と執拗な調査を進めてゆくなかで徐々にひとつに重なってゆく。その、絡み合った紐が少しずつほどけてゆくようなスリリングな展開に舌を巻き、同時に、30年型のシボレー、カフェー、ルジャ(赤)という名前のフォックス・テリヤ、ミッキーマウスの発声漫画(トーキーのアニメーション)、舶来物の嗅ぎ香水「ヘリオトロープ」、飛行機、凶器となったかつてハルビンで売られていた両刃の短刀などなど、全編に散りばめられた「モダン」なアイコンにうっとりして愉しんだ。そしてなんといっても、驚くべきはその文体の80年以上も前に書かれたとは到底信じがたい小気味よさ。「まったく古びていない!」というウラ表紙の惹句は真実(ほんとう)だった。奇跡の文庫化。〝熱帯夜の課題図書〟としてぜひおすすめしたい。 

白骨の処女 (河出文庫)

 

 ところで、物語のなかに、新潟の海辺の屋敷に暮らす令嬢が夕食後、知り合いを応接間に招待して趣味のレコードコンサートを催す場面がある。その「令嬢」こと瑛子は、日ごろから「金屋」という屋号の蓄音器屋と懇意にしており、その日も「試聴」かたがた金屋が持参した新譜の中から3枚を購入したというほどのレコード好き。結果的に、瑛子はその晩何者かの手によって殺害され、その日招待された客たちが疑われることになるのだが、それはともかく、そこから判るのは、当時の令嬢の趣味のひとつに「レコード蒐集」があったということである。

 

 ここに一枚の写真がある。蓄音機の前で、レコードを手に微笑む令嬢の姿。

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 この写真のオリジナルは、雑誌「ホーム・ライフ」の昭和11(1936)年1月号に掲載されたもので、写っているのは通俗小説の世界で一世を風靡した作家・加藤武雄の娘たちである。大型の蓄音機の前には火鉢が置かれ、床の間には軸が掛かっている。その取り合わせがなんとなくちぐはぐで面白い。ふたりの娘もともに和装である。

 「ホーム・ライフ」は、大阪毎日新聞から発行されていたグラフ誌で、昭和10(1935)年に創刊されている。この「ホーム・ライフ」に掲載された写真を手がかりに、戦前の華族富裕層の暮らしぶりの一端に触れようという津金澤聰廣監修『写真で読む昭和モダンの風景 1935年ー1940年』(柏書房)によれば、格調高く、戦時色を極力排したその誌面は中流以上の家庭の女性を中心に、日本に在留している外国人やロンドン日本人クラブ、海軍軍人などにも広く愛読者を持っていたという。藤田嗣治鈴木信太郎東郷青児ら当時の有力な画家たちが手がけた表紙からも、〝戦前モダニズムの見本帖〟といった趣がある。

 先ほどの写真に戻ると、次のようなキャプションが付されている。「お小遣いで買い集めたレコードが2,000枚を超えた。父も文壇屈指のレコード愛好家」。安価でレコードやCDを買うことのできる現代におきかえても、「2,000枚」といえば相当のコレクターといえる。友人らを招いてのホームコンサートもたびたび開かれていたにちがいない。

 

 はたして、当時の「令嬢」たちはどんな音楽に耳を傾けていたのだろう? ぼんやりそんなことをかんがえていたある日のこと、たまたま出会ったのが1920年代から30年代に数多くのレコードを吹き込んだフランスの女流ヴァイオリニスト、イヴォンヌ・キュルティの音源だった。

 イヴォンヌ・キュルティ…… はじめて耳にする名前だ。甘やかなポルタメント、ときにちょっと引っかかるような歌い回し、薔薇のように匂い立つヴィヴラート…… 前時代的と言ってしまえばそれまでだが、古き良き時代のおおらかな演奏にはまた曰くい言い難い独特の魅力がある。

 ただ、やはり現代の耳には10曲、20曲と立て続けに聴くのはしんどい。その「甘さ」に胃もたれを起こしてしまうのだ。けれども、ここでだいじなことは、こうした演奏は78回転のSP盤によって聴かれていたという事実である。12インチの収録時間は最大で片面5分前後、10インチだと3分程度だった。

 令嬢たちのいる応接間では、慎重にSP盤に針を落とすと3分ほどのごく短い演奏にうっとり耳を澄まし、針を上げ、「リプトン」や「トワイニング」をすすりながら大人びた口調で感想など述べ合い、その後ふたたびレコードを裏返して針を落とす、そんななごやかな「儀式」が執り行われていたのではないか。そうかんがえると、そんなSP盤の時代にあってキュルティの演奏を聴くことは、小さいながらも濃厚なクリーム菓子をつまむようないかにも〝令嬢好み〟な愉悦と満足感とがあったはずだ。


Yvonne Curti plays Souvenir by Franz Drdla


Yvonne Curti; SOUVENIR

 いまとなっては生没年すらはっきりしないという彼女について調べるなかで出会った「日本イヴォンヌ・キュルティ協会」なるブログを拝見していたら、興味深い写真をみつけた。それは、1947年に発行されたフランスの雑誌に掲載されたもので「イヴォンヌ・キュルティ女史率いる女流楽団」という見出しのもと、10名ほどの女性弦楽器奏者たちをの姿をとらえた集合写真なのだが、右手にひとりヴァイオリンを小脇に挟んで立つキュルティと思われる人物をみることができる。黒いスーツに純白のネクタイを結び、左手をポケットに入れたその姿はなかなか凛々しい。このオーケストラがどのような活動をしていたのかその詳細については結局わからずじまいだったのだが、時期的にあるいは第二次世界大戦と関係があるかもしれない。いずれにしても、キュルティというひとがかなり旺盛な演奏活動をしていたことは推測がつく。クラシックの演奏家という以上に、その写真と表情からは、クールな表情と独特の節回しで人気を博した華のあるジャズシンガーとでもいったような雰囲気が伝わってくる。

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 *画像参照元http://www.delcampe.net/page/item/id,310776808,var,LINA-DACHARY-CLAUDE-DAUPHIN-PIERRE-LOUIS-YVONNE-CURTI-ORCHESTRE-FEMININ-RADIO-47,language,E.html

 

愛しのイヴォンヌ・キュルティ

愛しのイヴォンヌ・キュルティ