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ふりだしに戻る

「昭和8年」を起点に、ジャック・フィニイよろしくモダン都市を散策するブログ

動き出す!絵画〜ペール北山の夢

大正期

 明治維新後の日本を、かりに人生にたとえるとしたら、やはり大正時代は青春時代であり、なにはなくても情熱だけはたっぷりあるアマチュアリズムの時代だったのではないか。東京ステーションギャラリーで開催中の『動き出す!絵画~ペール北山の夢』もまた、そんな時代を駆け抜けた芸術家たちの〝熱量〟に圧倒される展覧会である。

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 登場するのは岸田劉生木村荘八斎藤与里といった若い洋画家たちだが、その渦巻きの中心にいたのが「ペール北山」こと北山清太郎というひとりのディレッタントだった。北山は、西洋美術作品の図版、海外文献の翻訳、日本人画家たちの芸術論、展覧会評を紹介する雑誌「現代の洋画」(のち「現代の美術」)を主宰するかたわら、展覧会の運営や目録の編集、刊行をみずから買って出ることで若い芸術家たちの活動を後押しするとともにその感性を刺激しつづけた。彼ら若い芸術家たちは、無名の画家たちを援助したパリの画材屋の店主タンギー親爺になぞらえて北山のことを「ペール(親爺)」と呼んでいたという。有望な若者を見出し、たきつけるのもうまかったようだ。

 また、とにかく新しいものに目がなく、じっさい誰よりも嗅覚にすぐれていた。大正時代、若い芸術家や文人たちのサロン的な役割をはたしたレストラン「メイゾン鴻之巣」の奥田駒蔵もそうだが、北山もまたそのような大正ディレッタントのひとりだった。そのことは、早々とアニメーションに目をつけ、後半生をアニメーション制作に身を捧げたことからもわかる(展示の最後には、彼がみずから手がけた短編アニメをじっさいに見ることができる)。

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 会場の前半には、西欧の画家たちの作品が並ぶ。セザンヌゴッホピサロシスレー、モネ、ミレー、ドガ、ルノワール、そしてロダンなどなど。若い日本の画家たちは、彼らの作品を北山の「現代の洋画」に掲載された図版を通じて知る。実物に接する機会がごく少なかったこの時代、なにより「現代の洋画」は西欧美術の最新動向を知るうえで貴重な情報源だった。だから、展覧会の前半はこれらの作品が大正時代の若者たちの目にどんなふうに映ったのか想像しながら観てゆくのが楽しい。ひなびた農村、郊外の雑木林、埃っぽい道、たっぷり水をたたえた川、人や馬車でにぎわう街角、そして市井の人びと。そうしたよく見知った光景が、圧倒的な新しさをもって絵画作品として成立していることに彼らは一様に衝撃を受け、震えるような感動をおぼえたのではないか。俺も書きたい! いや、俺にだって書ける! すぐにでも画材を抱えて外に飛び出したいような心持ちになったはずだ。

 

 会場の後半は、いわば〝実践編〟。最初はおそるおそるなぞるように、そして少しずつ大胆に。ある者はいてもたってもいられず日本を飛び出し現地にあこがれの画家を訪ね、またある者はセザンヌゴッホ、ミレーのように身近なモチーフに情熱をぶつけた。「文展」が旧弊なアカデミズムに支配された「サロン」なら、じぶんたちの才能はその枠にはおさまらない印象派のそれである。彼らは、北山を「タンギー親爺」になぞらえることで、じぶんたちの姿をゴッホセザンヌに重ね合わせた。やがて、そうしたなかから斎藤与里を中心に高村光太郎岸田劉生、萬鉄五郎らが結集し「フュウザン会」が生まれる。なかでも、力のある者は模倣から独創へと力強く脱却していった。岸田劉生や萬鉄五郎、中川一政や中村彝の絵からは、やはりそうした比類のないエネルギーが感じられて興味深い。

 たとえば、岸田劉生が代々木の切通しを描いて話題になると、おなじようなモチーフで描くフォロワーが続いて現れる。あこがれ、模倣する存在だった自分が、いつしか気づけば模倣される存在に。大正という時代を貫く猛烈な速度はこんなことからもよくわかる。

 

 最後に、そんな洋画との衝撃的な出会いをまともに食らった若い画家たちの作品から印象に残った絵をふたつ。

ひとつは、〝日本のモネ〟との異名をとる山脇信徳の「雨の夕」(1908(明治41)年)。ブルーモーメントのような青に霞んだ街並。無数の轍。路面電車。傘を手に足早に行き交う人びとの姿。湿り気を帯びた空気が伝わってくるようだ。

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 もうひとつは、川上涼花の「鉄路」(1912(明治45)年)。ゴッホのような強烈な色彩でありながら、真っ赤に照らされた崖を切り裂くように疾走する電車が新しい時代の夜明けを告げている。

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 電柱、轍、そして走る電車という当時としては新しい日常のモチーフが、それぞれ青と赤という対照的な色調で描かれている。そこに開ける世界もまるでちがう。かたや抒情、かたや熱気。若い画家たちの、世界を捕捉するまなざしの確かさに「ペール北山」ならずとも釘付けになる。