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ふりだしに戻る

「昭和8年」を起点に、ジャック・フィニイよろしくモダン都市を散策するブログ

龍膽寺雄『甃路(ペエヴメント)スナップ』ー夜中から朝まで』を読む(第4回)

 ふたたび、ぼくらは銀座へと舞い戻る。

 

#イントロダクション

 モダン都市東京の心臓ギンザは、夜と一緒に眼をさます。

 真紅・緑・紫。

 眼の底へしみつくネオンサイン。

 イルミネエションのめまぐるしい点滅はシボレエの広告塔。

 パッ!

 トロリイに散る蒼いスパアク。

 夜間営業の夜の窓々を輝かした百貨店の七層楼。

『JOAK! 只今から今晩の夜間演芸放送をはじめます。最初は、モダン派作家アマチュア・バンドによる「モダン東京円舞曲。」…… メンバアは、……』

 ーー 電気蓄音機のジャズの反響。

 オウトバイの爆音。

 声の嗄れた交通整理のサイレン。

 夜店をとりまいたひやかし客の喧騒。

 甃路にパッと散る莨(たばこ)の火花。

 夜の十字路にうごめくギンザ・メンの雑閙(ざっとう)。

 

【都市とキュビスム

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夜の銀座風景(「アサヒグラフ」昭和11(1936)年11月11日号)(画像引用元:戦前~戦後のレトロ写真 (@oldpicture1900) | Twitter 様)左上に「シボレエの広告塔」が輝いている。

 

 ネオンサイン。イルミネエション。蒼いスパアク。夜間営業の夜の窓々。莨(タバコ)の火花。モダン都市は光の洪水。宝石箱のような輝きに満ちている。

 JOAK。ジャズの反響。オウトバイの爆音。サイレン。ひやかし客の喧騒。ギンザ・メンの雑閙(ざっとう)。モダン都市はまた、同時に、音の洪水。さながら狂騒曲のよう。

 眺める方向がちがえば目に飛び込んでくる光景もくるくる変わる昭和5年の夜の「ギンザ」を写しとる龍膽寺雄の饒舌な筆致に、ふと「アヴィニョンの娘たち」を描くピカソの面影を思い出す。そこにあるのは、ひとつの発見ーー キュビスムの流儀で都市を描くのではない。そもそも都市がキュビスムの流儀でできているだ! モンドリアンのマンハッタンまではあと少し。

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ロベール・ドローネー「シャン・ド・マルス、赤いエッフェル塔」1911/23年 

 

#エピソードⅠ

『やア!』

 飾窓(ウィンドウ)の灯り眩しい甃路(ペエヴメント)で、ひょっこり擦れ違った二人連れに二人連れ。

『や。……珍しいとこで。』

『やア。……』

『その後は暫く。』

『暫く。……』

『すっかりご無沙汰しちゃって。』

『いいえ、お互いさまで。……』

『どうです? その後は。』

『いや、別に……』

『は、は! いや結構。なにの方はこの頃は?』

『……?』

『そら、例のさ。』

『相変わらずです。』

『は、は! そいつア。……しかし、実に暫く振りですね。ちッとお気向きの節には遊びにいらしッて。……』

『有難う。是非。……』

『じゃ御免なさい。またいずれ。……なにに、細君によろしく。』

『あ、有難う。……御免なさい。』

 別れて連れのところへ戻って来ると、すかさず連れが、

『誰だい君? ありア。……』

『いや、そ、それがわからないんだ。はて、……誰だろう?』

『冗談じゃないぜ。いやにうまくバツを合わせアがって。……覚えがないのかい?』

『ない!……』

『細君によろしくねんて云ってたじゃないか。え?』

『ウン。俺にア細君なんぞてんでないじゃないか。人間違いだな、この明るみで。……』

『また君もシラジラしくバツを合わせたもんじゃないか。』

『でも君。これも街頭の礼儀ッてもんさ。……』

 

銀ブラと甃路(ペエヴメント)の礼儀作法】

  これはコメディーではない。こんな滑稽なやりとりが、じっさい銀座の甃路では日常的に行われていたというのだ。

 まずは、松崎天民の〝銀ブラ〟実録から。「何時、何処で逢つた人やら、トンと忘れて居た人にでも、途中で「やゝ」と声を掛けられると、此方も「やゝ」と答へてしまう。そこで『お茶でも何うです』と云ふことになり、連れ立ってカフェーへ入ったが、何う考へても、何と云ふ人やら、思い出せぬのである。斯うした遭逢が、黄昏時の銀座街上では、二度も三度も繰返されるのが面白く、現に二十二日の夕暮にも、そんな事があつた」(『銀座』)。

 松崎天民ではいまひとつ信憑性が…… という向きには、こんな野口冨士男の体験談はどうだろう。自称〝銀ブラ族〟の野口によれば、「銀ブラ」とは「かつて電車が通っていた表通りーーこんにちの呼称にしたがえば中央通りをただわけもなく何回でもブラブラと往ったり来たりするだけのこと」であった。「なにが面白くてそんなことをしたのかと問われても、明確に解答できる人は当時もいなかっただろうし、現在もいるとは考えられない。それが時代風潮であって、当時の銀座がそういう街であったという以上になにか附け加えようとすることは、飲酒や喫煙をせぬ人に酒や煙草の味を説くようなものだろう」(『私のなかの東京』)と言う。そして、そんな具合にブラブラしていると「どこの誰とも知らずに視線が合えば会釈をかわす相手も生じてくるわけで、敗戦直後の銀座街頭でそういう一人にゆきあったとき、『やあご無事でしたか、よかったですね』と私は握手を求められた。が、それはそれだけのことで、そのときにも私たちは氏名を名乗り合ったりはしなかった。戦前の銀座とはそういう場所で、『銀ブラ』とは、そういうものであった』(同上)。都市の遊歩者が出会い、軽い挨拶をかわし、そしてふたたびかたや北へ、かたや南へと別れてゆく。銀座では、ひととひととの出会いもまた市電の架線から飛び散る青い火花の閃光と同様、ほんの一瞬大きく輝いては消えてしまいけっして長く尾を引くことはない。

 他方、おなじ「銀ブラ」ということばも、山の手育ちの野口冨士男と銀座で育った〝土地っ子〟池田弥三郎とではその受け止め方にはだいぶちがいがある。池田は言う。「銀座のぶらぶら歩きのことを銀ぶらと言い習わしたのだが、そういう略語形式のことばは、どだいあまり品のいいことばではない。わたし達は、銀ぶらをしようの、銀ぶらに行こうのと、言い合った覚えはない。あまり、大手をふっては歩けないことばだという語感が、そのころも、また今でもわたしにはある。その時分の、それこそ銀ぶら仲間でも、わたし達はそのことばを使ったことはない」(『わが町 銀座』)。銀ブラ」などという単語を使って嬉々としているのは、所詮は〝よそ者〟だという〝土地っ子〟ならではの優越感(?)なのかもしれない。とはいえ、そんな池田弥三郎にしても毎日のように飽きることなく銀座をブラブラ歩いていたわけで、甃路(ペエヴメント)とはつまるところ、そんな銀座に魅入られた人びとを引き寄せる都市のランウェイだった。