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「昭和8年」を起点に、ジャック・フィニイよろしくモダン都市を散策するブログ

独り行く。〜「白子宿」編

 午後になって雨があがったので、岩本素白の文章で読んで以来ずっと気になっていた「白子の宿」のあたりを歩いてみた。

 川越街道の宿場町のひとつ白子宿(しらこじゅく)は、現在の住所でいえば埼玉県の和光市にあるのだが、じっさいに行こうと思えば最寄りは東京都板橋区の「成増」駅(地下鉄有楽町・副都心線東武東上線)になる。そこから歩いて15分くらい。つまり、池袋から電車と徒歩で30分もかからずにたどり着くことができるわけである。

 川越街道をだらだらと下ってゆくと、やがてちいさな八坂神社のところに枝道が現れる。旧「川越街道」である。ある種の(?)人間にとっては曲がらずにはいられない、きっとこの先になにかありそうな、そんな予感を感じさせる風情を醸し出している。この道について、岩本素白はこう書いている。「新しく出来た平坦な川越街道を自動車で走ると、白子の町は知らずに通り越してしまう。静かに徒歩でゆく人達だけが、幅の広い新道の右に僅かに残っている狭い昔の道の入口を見出すのである」。

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 ゆるゆるした下り坂の旧道を歩いてゆく。古い民家やかわいらしい看板建築の床屋さんが、マンションや戸建て住宅に挟まれて居心地悪そうに佇んでいる。素白が、「昔広重の描いた間の宿にでも有りそうな、別に何の風情もない樹々の向こうに寂しい家並みが見える」と書いていることから察するに、もともと賑やかな宿場町といった雰囲気ではなかったようだが、その<寂しさ><侘しさ>こそがいかにも素白好みという気もする。

 

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 ところで、関東大震災の後、この場所に居を構えたのが「靴が鳴る」「雀の学校」「叱られて」といった童謡で知られる詩人の清水かつら。かつらは、創作のかたわら、当時成増にあった「花岡学院」で教師として音楽の指導にあたったり、また、地元出身の児童文学作家・大石真に請われて彼らが村の子供たちのためにつくった「白子文化会」の会長になったりと地域のために尽力した。そのため、坂を下りきったところに流れる白子川の橋の欄干には、そのかつらの「靴が鳴る」の詩を刻んだプレートがはめ込まれている。

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 昭和23(1948)年に作詞された童謡「緑のそよ風」は、この白子川の情景をもとにつくられたそうである。いまとなってはまったく想像もつかないけれど。


日本の童謡 みどりのそよ風

 また、この白子地域にある和光市のコミュニュティーセンターには、清水かつらと大石真を記念した常設展示コーナーがあり、童謡の譜面などのほか、かつらが編集者として携わっていた雑誌「少女号」なども陳列されていたりする。

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 さて、白子といえばなんといっても「湧き水」で有名である。素白にとっての白子宿の印象は、まず、複雑な地形が生む曲がりくねった道のおもしろさであり、それと同時に「狭い道の傍の小溝を勢いよく水の走っている」風景である。「小橋の架かった小さい川、それから家並みが細くなって、その通りの向こうから流れて来る昔ながらの小溝の水が、その小川へ落ちるのである。水が豊富なためか、管をしつらえて水を高く上げ、その落ち水で物を洗っている女達もある」。これはたぶん、「滝坂」といわれる恐ろしく急な坂道のあたりの様子にちがいない。この坂道の途中にあるのが、「小島家湧水」。溝はほとんど暗渠になっているとはいえ、勢いよく流れ落ちる水音が静かな坂道に絶えることなく響いている。立ち止まって水に手をつけて休んでいるのはぼくくらいなもので、地元の人たちは何事もなかったようにずんずん通り過ぎてゆく。

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 通称「滝坂」を登りきったところで、ふりむいてパチリ。思わずタモリに見せたくなるナイスな高低差。『ブラタモリ』で取り上げればいいのに。

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 交通量の激しい笹目通りを渡ったところで目に入るのが、「写研」埼玉工場のビルディング。昭和30年代の初頭ごろのものではないかと思われるのだが、詳しいことは不明。〝忘れられた近代建築〟といったところか。そもそも、工場じたい稼働している様子がない。構内の芝などはきれいに刈られているようだが、突然消えてしまったかのようにひとの気配がまったくない。これはもう、油断すると確実にゾンビの大群が建物から溢れ出してくるヤツである(『ウォーキング・デッド』の見過ぎ)。

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 工場の敷地をぐるっと回って川越街道を成増方面にもどる。笹目通りと交差するあたりは鬱蒼とした武蔵野の雑木林が広がっている。たぶん、この景色を素白も見たのではないだろうか。

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 そして、この先の駐車場の崖に、じつは白子湧水群のひとつ「富沢湧水」がある。あまり風情はないが、水量はすごい。蒸し暑さでだいぶ汗をかいたので、手ぬぐいを濡らして顔や首をゴシゴシ拭いた。気持ちよかった。

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 この辺りについて、素白は書く。「水源は何処であるか分からないが、黒々としてはいるが、その林もさして深いものとは思われない。或いは此の辺一帯の丘陵が、多分に水を持っている土地なのかも知れない。成増方面から北へ自動車を走らせて来ると、遥かに黒く鬱蒼と茂った樹林が見えるのが此の辺りである」。素白が言うように「多分に水を持っている」らしく、崖の肌からは絶えることなく水が流れ出している。

 これだけ水が豊富なら…… もちろん、昔は造り酒屋もあったという。大の酒好きだった清水かつらの評伝には、近所の酒屋で仕入れた酒を楽しむエピソードが頻繁に登場する。白子の地酒を呑んでいたのだろうか。

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 この「富沢湧水」の目と鼻の先にあるのが、「後ろに森を背負った社域の広い熊野の社」である。この熊野神社の境内にも、いくつか湧水がある。少なくとも、千年以上の歴史があるのだとか。よくわからないけれど、パワースポット的な雰囲気あり。池袋から電車に乗ってたった10分ほどでこんな場所に行けるのだ。この静けさもまた、素白がじっさいに触れたものにちがいない。

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 かつて本陣のあった界隈は、それでも少しにぎやかさがある。風情のある建物は、仕出し料理の「魚くめ」。すでに営業はしていないようだが、藤崎米店もある。大きく弧を描いた急坂ゆえに「大坂」と名付けられた坂の入口には、明治時代に建てられた「佐和屋」の立派な木造家屋が残っている。荒物屋を営んでいたそうだ。23区のはずれ(ここから150メートルほどで練馬区)なのだが、にわかには信じがたい景色が広がる。まるで山里である。

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 曲がりくねった道が消え、広いまっすぐな道に姿を変えてゆくことで、「走るのには便利であるが、歩いての面白みは全く無くなってしまった」岩本素白は嘆く。ここで面白いのは、素白が「走る」と「歩く」を別のものとして捉えていることにある。

 そもそも、「走る」も「歩く」もAという地点からBという地点に移動するための手段であり、その目的にとって広いまっすぐな道は「便利」という点ですばらしいことに変わりはないはずなのである。ところが素白は、「走る」には「便利」だが、「歩く」には「つまらない」と言う。つまり、素白にとっての「歩く」とは、たんなる目的地にまっすぐ行くことではなく、立ち止まったり、脇道に迷い込んだりすることにより大きなよろこびを見い出す行為なのだろう。では、素白は実際どう「歩く」のか? 「私は何時もこういう何の奇もない所を独りで歩く」。そう、「独りで歩く」のだ。「人を誘ったところで、到底一緒に来そうもない所である。独りで勝手に歩いているから、時々人と違ったことも考える」。散策はまた、同時に思索でもある。独りで歩くことの楽しさを、いま、ぼくは素白先生から少しずつ手ほどきしてもらっているところだ。