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「昭和8年」を起点に、ジャック・フィニイよろしくモダン都市を散策するブログ

『銀座二十四帖』〜水辺とともに失われた記憶


銀座の雀

 平成最後の日、神保町で川島雄三の『銀座二十四帖』を観る。DVDもあるし、数百円払えばネットで視聴もできるのだが、スクリーンで観たくてずっと先延ばしにしていた。というのも、チラッと映る当時の街並みにあらすじ以上に反応してしまう〝銀座おたく〟としては、まずは大きな画面でじっくり鑑賞したかったからである。

 そんなわけで満を持してという感じだったのだが、映画が始まってすぐ、どうやらここに描かれる銀座はぼくが期待しているそれとは違うらしいことに気づいた。

 それは、服部時計店の時計台のクローズアップに始まり、森永キャラメルの、例の地球儀型ネオンライトのあるまぎれもなく昭和30年代の夜の銀座にはちがいないが、そこには心を浮き立たせるような楽しさや宝石箱のようなきらめきが欠けている。スクリーンに映し出されるのは、埋め立てられつつある掘割、デパートの建築現場、舗装されていない抜け道や銀座裏の酒場、路地裏にひしめく豆腐屋や魚屋など、いまや完全に失われ、忘れられたかつての銀座の風景ばかり。そこでようやく、ぼくはこの映画がつくられたのが「昭和30年」であったことに思いいたる。

 

 ところで、昭和30(1955)年とはいったいどんな年であったか。それは、太平洋戦争の敗戦からちょうど10年後であり、同時にまた東京オリンピックの9年前である。いわゆる「高度経済成長」のそこは起点であり、そのあくる年の『経済白書』では「もはや戦後ではない」と高らかに宣言することになるのだが、しかし、精神的には、人びとはいまだ長い影法師のように戦後を引きずって生きていた。この映画の全体を覆う、どこか暗鬱な気配はそのためだ。夜の銀座に暗躍する怪しげなブローカー、ヒロポン中毒から抜け出せない男、そして主人公が経営する花屋を手伝う少女たちはみな「孤児」であったりする。そもそも三橋達也扮する花屋のあだ名が「コニー」というあたり、いかにも戦後という感じだ。

 コニーは、「花売り」として夜の銀座ではそれなりに顔のきく存在であるが、その虚無的な世界とは肌が合わず、また無法地帯と化した夜の銀座にはびこる犯罪を憎んでもいる。「花売りコニー」という軽快な愛称には似合わない無愛想で、不器用な男だ。その点、似合わないベレー帽をかぶった三橋達也という演出もなかなか秀逸といえるだろう、もしそれが計算だとしたら。

  外交官の娘で、行方不明になっている夫の身を案じながら築地の料亭に身を寄せているヒロイン和歌子(月丘夢路)もまた、いまだ戦争の影を拭い去れずにいる「旧式」の女性である。かつて娘時代を過ごした満州で出会った青年画家に描いてもらった一枚の肖像画が、思いがけず彼女とコニーとを引き合わせることになるのだが、昔の銀座と同様、ふたりのあいだは目に見えないどんよりと濁った「川」が隔てている。

 対照的に、北原三枝が演じる和歌子の姪っ子は典型的な「アプレ娘」。ときにその奔放なふるまいは周囲を唖然とさせるが、真水と海水とがせめぎあう「汽水域」よろしく、ふたつの対照的な世代が混じり合うことなくせめぎあっていたのが昭和30年の銀座であった。彼女たち「アプレ」世代にとっては、流れない川など埋め立ててしまえばよいだけの話、渡ることのできない川などこの世に存在しないのだ。

 

 もうひとつ、この映画では思いがけない「発見」もあった。それは、この作品がつくられた昭和30年当時、戦前の銀座がまだしっかり残っているのを確認できたことである。たとえば、大通りのすぐ裏にちいさな商店がひしめき合っているさまは、以前やはり神保町シアターで観た五所平之助の『花籠の歌』(昭和12年)の頃とほとんど変わらないし、バーで繰り広げられる嬌態は戦前のカフェーでのそれとまったく変わらない。また、上京した姪っ子がデパートのファッションショーに「モデル」として出演するシーンもそのまま戦前の「マネキンガール」を思わせる。

 これまで、てっきり戦前の銀座の面影は戦争によって失われたものと思っていたのだが、この『銀座二十四帖』を観て、すくなくとも「昭和30年の銀座」は「戦前の銀座」と地続きであり、風景だけでなく、人びとの心理的にも「戦前」とぷっつり途切れたのは昭和30年代の後半なのではないかとかんがえるようになった。そして、それが銀座から完全に掘割が姿を消したその時期と重なっているのは、けっしてただの偶然ではないだろう。うろおぼえだが、劇中、和歌子がコニーにこんなことを言っていたのが印象的だった。「かつてここには三十三間堀川が流れていました。時代は変わっていきます」。