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ふりだしに戻る

「昭和8年」を起点に、ジャック・フィニイよろしくモダン都市を散策するブログ

まぼろしの万博

日本初の「万博」は昭和15(1940)年、皇紀2600年の記念事業として東京で開催されるはずだった。「はずだった」というのはもちろん、それは実現せず「まぼろし」に終わってしまったからである。

 

築地にある中央区郷土天文館「タイムドーム明石」ではいま、その「まぼろしの万博」をとりあげた記録映像『幻の万国博覧会~月島四号地(晴海)の万博計画とその背景』が上映中。さっそく観にいってきた。まずは券売機で入場券を買い求め、受付の女性に映像が観たい旨を伝える。すると別室に案内され、上映がスタート。〝貸し切り〟である。映像は、全体で30分ほど。東京湾の埋め立てをめぐる紆余曲折、明治以降の博覧会ブーム、そして本題である「紀元2600年記念・日本万国博覧会」の計画とその背景がコンパクトにまとめられていた。

 

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計画によると、この「日本万国博覧会」は昭和15(1940)年3月15日から8月31日までの170日間、東京湾の浚渫(しゅんせつ)によって新たに生まれた月島四号地、現在の晴海をメイン会場に行われ、入場者数はおよそ4,500万人を見込んでいた。国勢調査に基づく昭和15(1940)年の日本の総人口は7,300万人あまりなので、その2/3にあたる動員を予想していたことになる。計画は昭和5(1930)年にはじまり、昭和8(1933)年には、会場へのアプローチとなる〝東洋一の可動橋〟勝鬨橋の工事も着工された。真に国際都市をめざす東京にとって、東京湾の埋め立ては明治以来のいわば〝悲願〟だったのだが、この時期、ようやく浚渫(しゅんせつ)が実現し、港湾設備が整いつつあった。つまり、東京湾に誕生した人工の浮き島こそは東京の〝新しい時代〟を告げるシンボルという意味合いもあったのだ。
しかし、長期化する支那事変にともなう時局や資金難にかんがみ、昭和13(1938)年に計画は凍結、無期延期となってしまう。すでに一部の建物は工事が始まり、前売券も販売されていた。

 

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吉田初三郎の描く万博会場の鳥瞰図

 

ところで、かねがねぼくはこのブログでは、歴史的な事件や建物を取り上げるのではなく、それをひとつの「きっかけ」として、当時の名もない人びとに心を寄せたいとかんがえてきた。なので、この記録映像を観ていちばん心に残ったのはやはり、万博の実現にむけて奔走する市井の人びとの姿であった。ワイシャツの袖をまくり図面と格闘する職員、大量の前売券をさばく和装の女子事務員、会場に植栽されるはずだった苗木を育てる職人……。そして、彼らの姿からぼくは、佐藤春夫の小説『美しき町』を思い出していた。

『美しき町』が発表されたのは、大正9(1919)年のこと。主人公である若い画家のもとに、ある日ブレンタノと名乗る人物から手紙が届く。築地のSホテルまでブレンタノ氏を訪ねた青年は、それが混血児の旧友であったことを知り驚かされる。驚く青年に彼は、父親の莫大な遺産を元に「隅田川の中州に〝美しき町〟」をつくろうと持ちかけるのだった。そして、老建築技師を加えた3人は夢中になって計画の実現に奔走するのだが、3年経ったある日のこと、突如ブレンタノ氏は姿を消してしまう……

そもそも「万博」とは、政治的に利用されやすいイベントである。「国威発揚」と「世界平和」というお題目が、危なっかしい均衡の上にゆらゆらと揺れている。しかし、昭和11年、12年といった時代でさえ、日本人の多くはそれを真に「世界平和」のイベントとしてしかかんがえていなかったのではないか。作家の安岡章太郎は、大不況、満州事変、さらに支那事変から大東亜戦争に向かうこの時代はそれでもなお、「個人個人の生活の視野」から言えば「平和な安穏な休憩期間(インターヴァル)」であったと回想する(『わたしの20世紀』)。
そして、やがて「まぼろし」となるこの万博にかかわった無名の人びとはみな、「世界平和」という美しい理想を掲げた史上最大規模のこの博覧会に自身も一役買っていることを誇りに思い、それぞれが心に豪奢で華やかな会場と訪れた人々の笑顔を描いていたのではないだろうか。それはまた、『美しき町』の主人公の心模様と重なる。

 

わずか数年とはいえ、日本じゅうを夢中にさせた「紀元2600年記念・日本万国博覧会」はこうして「まぼろし」に終わった。けれども、かかわった市井の人びとの心の中に、それはたしかに眩い輝きをもって実現したのである。

 

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 広報誌「萬博」(昭和12年4月号)