昭和7(1932)年
夏の夜の読書は、ミステリにかぎる。そこに描かれる寂寥とした世界にしばし浸ることで脳内からクールダウン、涼を呼ぶのだ。 ここ最近では、雑誌「新青年」の初代編集長として江戸川乱歩を世に送りだしたことでも知られる森下雨村が、昭和7(1932)年に発表…
日本橋から茅場町を抜け、永代橋を渡って深川にやって来た。しもた屋風の家屋と空き地、新築や高層のマンションが入り混じりつつ点在する風景は、この町が、いままさに〝過渡期〟 にあることの証拠である。空き地や、新築マンションばかりが増えてしまう前に…
たとえて言えば、昭和8(1933)年とその前後数年はさながら「時代の汽水湖」のようである。そこでは淡水と海水のかわりに、江戸〜明治の封建主義と近代主義とが、大正デモクラシーと軍国主義とがせめぎあい、混じりあい、独特の「汽水域」をなしている。そし…
荻窪駅の南口を出てすこし歩いたところ、駅前のにぎやかな商業地と閑静な住宅街のちょうど境界あたりに、いまもその建物はたたずんでいる。山田守が設計し、昭和7(1932)年に竣工した「荻窪郵便局電話用事務室」である。 じつは以前、ぼくはこのすぐ近くに…