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ふりだしに戻る

「昭和8年」を起点に、ジャック・フィニイよろしくモダン都市を散策するブログ

龍胆寺雄『甃路(ペエヴメント)スナップー夜中から朝まで』を読む(第5回)

 話は前回のつづき。夜の銀座。ふたつめの#エピソード

 ケララケララケララ

 自動車が尾張町の角でグイと急速に輪を描くと、女はひとつクッションに揺すぶられてた男の膝を、繊(ほそ)い指で突ッつくんです。

『ちょいと、どこへ行くのよ?』

『識(し)らないよ、僕ア。』

『まだこのひとは慍(おこ)ッてんのね。ギンザへ行けッて云いつけて、ここはギンザじゃないの。……あてのないとこグルグル廻されちゃ、運転手さんが迷惑するわ。どこへ着けるのよ。……ここらで降りる?』

『降りたかッたら勝手に降りたまえ!』

『厭アなひとね! そんなにさッき云ったこと気にかかるの?……そんなら、あんな話持ち出さなかったらいいじゃないの。自分から持ち出して、厭アだッての無理やり白状させてさ。それを気にかけて自分で腐ってるなンて、街のこの灯りを御覧なさい。そんなあんたの古風な感情なンて、ここじゃまるで影みたいじゃないの? 他の男には誰一人顧みられないなンてそんなあたしが女だったら、それを恋人にしてるあんたこそ恥じだわ。……五人の男があたしに秋波(いろめ)をつかうよりか、十人の男があたしに秋波をつかう方が、あたしを捉えてるあんたにしちゃ腕があがるッてもんよ。……第一、今どきに愛の恋のなンて、……あ、運転手さん。そこらでグルッとひと廻りしてよ。この通りをズウッと流して。新橋まで、ね。急がないでもいいわ。……愛の恋のなンて、そんな暇があったら、それこそマルクスの一冊も読んでみるがいいわ。せめて世の中は裏返せないにしたって、あんた一人が裏返せたッて、ちょいとは気分が変わるッてもんよ。……ダンサアを恋人になんぞ持つんだったら、それだけの気持ちで居なきアだめ。……踊り場へ忍んで来て、誰と何遍踊ったの、誰と踊る手つきが怪しいの、チケットを一度に何枚どうしたのッて、ウフ! 莫迦々々しい。何人でも男をあたしがつかまえたら、あんたの恋人の腕じゃないの。少しはあたしに教育されてよ。ダンサアを恋人にしてるんならダンサアを恋人にしてる様に、もッとモダンに! ね。……しんからあたし浮気をする気なら、あんたとこんなことになってアしないわよ。それだけは信じてよ。ね?』

 段々と彼女の頬ぺたが寄ると、モシャモシャと縮らかした煙の様な断髪が、男の耳を擽(くすぐ)って、挑む様な口紅がそッちへ尖って伸びて行くんです。

『ね。機嫌直した?』

『機嫌なンぞ、別に悪くしてアしないじゃないか!』

 男の口端を何かしらこわばった、つくり笑いが掠めるんです。

『いつもあれだ。……厭やなひと。』

 女は男の膝の上で、思いきり彼の指を抓(つね)って、運転士に、

『ちょいと、ここで止めて!』

『へえ?』

『ここでいいの。……

 打ち水の上に轍が滑って、パアン! と扉が開くと、女の華奢な舞踏靴が軽々と踏床(ステップ)から、ペエヴメントへ跳ねるンです。素肌へまとった様な緋色のワンピース、透明なスタッキング、豊満な裸の肩。ーー

 

【銀座・モダンガール・円タク】

 銀座の甃路(ペエヴメント)は、ひとをなりたい自分に変えてしまう魔法の舞台(ステージ)だ。銀座では、銀座にいる限りにおいては、誰もが役者のように振る舞い、またそうすることが許された。そこでは、つまり昭和5年の夜の銀座では、自己陶酔こそがペエヴメントを行く者たちに共通の〝マナー〟でさえあった。

 さて、龍膽寺雄の高性能の眼=レンズは、いままさに銀座四丁目の交差点を曲がろうとする一台のタクシーをとらえる。東京の路上に「円タク」が登場するのは大正15(1926)年、大阪よりも2年遅い。市内を一円均一で走ることからそう名付けられた「円タク」の登場は、ふたつの点でモダニズムの隆盛にだいじな役割を果たしたといわれる。ひとつは、中間層の人びとが終電の時間を気にせず夜遊びできるようになったこと。運賃も交渉次第なので、気軽な移動手段として重宝された。そしてもうひとつ、「円タク」が都会に出現した移動する「密室空間」としてさまざまなドラマを生む場所となったことである。ズームアップした龍膽寺雄のレンズは、この「円タク」の車内を映し出す。モダン東京の夜を綾なすコントラスト、どうやらここでは「男」と「女」に焦点が絞られるようだ。

 女は、「モシャモシャと縮らかした煙の様な断髪」のモダンガール。職業はダンサー。そこそこの売れっ子らしい。いっぽう、その傍らの終始不機嫌そうな男はというと…… その女の恋人、もしくは「のようなもの」と見受けられるが、職業まではわからない。ただ、こんなダンサーと付き合えるくらいだからそれなりの経済力の持ち主とは言えそうだ。

 ところで、安藤更生に言わせれば、彼らモダン東京の登場人物たちはすべからく「アメリカニズム」の申し子だった。以下、昭和5(1930)年に出版された著書『銀座細見』から引用してみる。「今日の銀座に君臨しているものはアメリカニズムである。まず、そこのペーヴメントを踏む男女を見るがいい。彼らの扮装は、彼らの姿態は、いずれもアメリカ映画からの模倣以外に何があるか。〈中略〉銀座の女性はアメリカ映画のシーンによって男性に対する応酬のテクニックを覚え、アメリカ女の如くタクシーの中で恋をすることを見習った」。

 髪型や衣装といったファッションのみならず、アメリカ映画の影響は、しぐさや身振り、恋愛作法といった範囲にまで及ぶ。髪型やメイク、衣装ならば雑誌のグラビアを真似れば済むことだが、しぐさや身振りはそうはいかない。その点、映像というかたちでダイレクトに視覚に働きかけてくる「映画」なら完璧だ。昭和初期のモダニズムにアメリカの、とりわけアメリカ映画の影を指摘する安藤更生にはなるほど頷ける。じっさい、車内のふたり、特に「女」のほうは、そのファッション、しぐさ、言葉などすべてにおいてアメリカ映画の中から抜け出てきたような印象をあたえる。銀座で、その甃路(ペエヴメント)で、このダンサーの女は、たとえばジョーン・クロフォードのようなアメリカの女優の姿と自分自身とを重ね合わせて振舞っているのだ。だからこそ、女のとなりにいるのもまたクラーク・ゲーブルのような伊達男じゃなきゃダメなのである。恋だの愛だのといった「古風な感情」に振り回されてはいちいち不機嫌になっているような野暮な男が相手じゃ興ざめだ。「ダンサアを恋人にしてるんならダンサアを恋人にしている様に、もっとモダンに!」

 「打ち水の上に轍が滑って、パアン! と扉(ドア)が開くと、女の華奢な舞踏靴が軽々と踏床(ステップ)から、ペエヴメントへ跳ねるんです。」ーー いかにも映画のワンシーンを彷彿とさせる情景。

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 ジョーン・クロフォード ダンサーから女優に転身するも端役ばかりで目立った活躍はなかったが、1928年公開の『踊る娘達』で脚光を浴び一躍スターの仲間入りを果たす。彼女は、〝狂騒の20年代〟を象徴する自由奔放で尖端的な女性「フラッパー」として多くの女性の支持を得る。彼女を賛美したひとりには、作家のスコット・フィッツジェラルドもいる。

 

 モダンガール、銀座、円タクという3つの単語から連想される小説がある。永井荷風の『つゆのあとさき』(昭和6(1931)年)だ。銀座でカフェーの女給としてはたらく君江は、飾り気のないさっぱりとした気性がうけ銀座ではなかなかの人気者となっているが、じつはかつて小石川諏訪町で私娼をやっていたという過去をもつ。ある晩、銀座から自宅のある市ヶ谷本村町に向けて円タクを拾った君江だが、運の悪いことに乗り合わせたタクシーの運転手は君江の過去を知る男であった。彼女の「秘密」をネタに言い寄る男に嫌気がさした君江は、口論の末、自宅にほど近い場所で車を降りるのだが、彼女がステップから降りるか降りないかのうちに腹を立てた運転手が急発進したためバランスを崩し、派手に地面に転げてケガを負う。「ざまア見ろ。淫売め。」降りしきる雨の中、円タクは夜道を消え去ってゆく……。

 ここで注目したいのは、夜の銀座では人気の女給としてもてはやされる主人公が、円タクから突き落とされ面罵されるのが銀座の外、山手の市ヶ谷であるということだ。かならずしも、昭和5年の東京全体がモダニズムに染まっていたわけではなかったろう。むしろ、銀座は東京の中に出現したモダンの〝飛び地〟だった。銀座のペエヴメントは、銀幕から抜け出てきたかのようなモダンガールにとって誂え向きの「舞台」であったが、彼女を輝かせる「魔法」の効力には限度もあった。〝銀座の顔〟は銀座においてしか通用しない。黄金の馬車も、一歩銀座を離れたとたん元のカボチャに戻ってしまう。

 

#エピソードはつづく。

 

マントちょいと取って。……一円でいいわね。アラ、いつも九段から二人一円よ。一人なら七十銭!……おのろけを聴かしたから、まアまけといたげるわ。御苦労さん。……さ、いらッしゃいな。』

『どこへ行くんだ?』

『どこッて、LLよ。……それともサイセリヤ? コロンビヤ?……LLがいいでしょ? あたし百合子さんにあんたを預けて、もうひと稼ぎして来るわ。……少し酔ッ払ってクダを捲いて、百合子さんをホテルへ引ッ張り込むぐらいの器量を見せて御覧なさいナ。少しは男が練れるわよ。腕前があってあたしをポイ出来るぐらいだったら、見上げたもの。たまにはあたしに角生やしてあんたを追ッかけさしてよ。……あたし、あんたじゃ欠伸が出ちゃうわ』

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川西 英「ダンス・ホール」木版・1935(昭和10)年 画像引用元:神戸市役所「神戸百景」

 

【サイセリヤ、コロンビヤ、そしてLL】

 きっと行きつけなのだろう、女はここで3軒のカフェーの名を挙げる。

 いま、「並木通り」と呼ばれている道沿いには「サイセリヤ」があった。『銀座細見』の安藤更生によれば、「近所の客にノベツお尻をブツケられながら飲んでいなければならない」ほどの狭い店だったという。「美しい髪を長くした芸術家」の主人みずからシェーカーを振り、いかにも「カフェリッテレエル(文士カフェ)」といった雰囲気を醸し出していた。それは経営者が代わっても同じだったようで、「われわれの分際では出入は叶わなかった」と土地っ子で慶應ボーイ池田弥三郎も回想している。じっさい常連には作家や学者も多く、里見弴、山内義雄中村武羅夫といった面々が、夢二好みの黒目がちな美人「お京さん」めあてにしばしば来店した。他にも、東郷青児の前妻明代(はるよ)や恋多き女歌人原阿佐緒もサービスに立ったということからも、他の店とはひと味ちがうスノッブな空気を読み取ることができる。

 それに対して、明るく開放的なエロで人気を誇ったのが銀座2丁目の裏通りにあった「コロンビヤ」である。ここの特徴は女給がみな洋装、しかも「赤いハッピーコート」やら「小学校の先生のような黒いワンピース」やらと好き勝手なものを身につけまるで統一感に欠けていた上、接客にも気取ったところが皆無だったので、いつも店内はまるで「オモチャ箱をひっくり反したような騒ぎ」だったという。いわく、「喧噪と、ジャズと、インチキのカクテール」。室生犀星萩原朔太郎もこの店がお気に入りだった。

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 「表現派風」といわれたカフェー「コロンビヤ」の外観(『建築写真類聚「カフェー外観集・巻一」』より)画像参照元UDF blog

 

 問題は残るひとつ、「LL」である。先のふたつ、「サイセリヤ」と「コロンビヤ」が実在する店であったことを思えば、当然「LL」もまた実名であると考えたいところだが、しかしそのような名前のカフェーとなかなか出くわさない。この『甃路(ペエヴメント)スナップ』を収録した『モダン東京案内』(平凡社)の脚注も「LL」にかんしては「未詳」とあるだけだ。とはいえ、せっかくなのでぼくなりに推理して少し遊んでみようと思う。

 まず、やはり「LL」は龍膽寺雄のまったくの空想ではなく、実在するカフェーと仮定する。その上で、ふたつの可能性について考えてみよう。

 ひとつは、「LL」というのが「仮名」であるケース。それは、このエピソードに登場する女給「百合子」の名が実名であった場合、店の名前まで実名だとなんらかの迷惑が生じるのではないかという配慮から、店の名前についてぼかして表現したというケースである。当時の資料を読んでいると、カフェー「ゴンドラ」の女給のなかに「百合子」という売れっ子の名前をみつけることができる。ただ、「ゴンドラ」は地下から地上5階まですべてカフェー、女給の数は約150人という超のつく大箱である反面、その質については二流、三流と「通人」から悪口を言われたりもしたそうである。アーティスティックな雰囲気が漂う「サイセリヤ」や明るく健康的なエロが持ち味の「コロンビヤ」を龍膽寺の好みとするならば、「ゴンドラ」を同列に語るのにはやや無理を感じる。それに、だいたい「ゴンドラ」に「LL」という仮名ではあまりにかけ離れている。

 そこでもうひとつの可能性、「LL」がなにかの略称、もしくは通称であるというケースについて考えてみよう。たとえば、しばしば画家の九里四郎が数寄屋橋で経営していたレストラン「ブランシュ・エ・ルージュ」が「B・R」と呼ばれていたように(久生十蘭三宅艶子など)、である。

 そこで頭をよぎったのが、バア「オララ(O La La)」のこと。キーパーソンは、村山知義。この店の設計を手がけたのは村山知義だが、彼はまた龍膽寺雄の朋友・吉行エイスケの妻あぐりが市ヶ谷で経営する山の手美容院の設計者でもあった。そして、その3階にあったエイスケの居間は龍膽寺ら新興芸術派の溜まり場になっていた。となれば、龍膽寺雄が村山の手がけた「オララ」の空間に親しみと居心地のよさを感じていたとしても不思議はない。少し長くなるが、昭和6(1931)年に出版された小松直人『cafe jokyu no uraomote』(二松堂)から引用しておく。「オララはライオンの裏通りにある酒場である。建物の設計は、才人で、そして左翼作家たる村山知義氏。長年舞台装置その他で、きたへて来たのだけに、バーの設計をさせても光ってゐる。このオララなども氏の設計のよさを示すものの一といへよう。のぶ子、葉子「どうかと思ふわ」を口癖にする春子等の女給は、難を言へば、あまりにも固く、そしてインテリくさいが上品である」。女給が「ダンケシェーン」など挨拶にドイツ語を使ったりと珍しい趣向もあったようだが、震災前ベルリンに滞在していた村山と「オララ」の店主との間に何かそういったつながりでもあったのだろうか。

 当時、なにかと対立的に取り上げられることの多かった村山ら「プロレタリア派」と龍膽寺や吉行ら「新興芸術派」だが、彼らがとりたてて敵対的であったわけではないことはこうした交流からも分かる。なにより、「プロレタリア派」で、「新興芸術派」である前に、彼らは〝モダンボーイ〟であるという点で共通していた。そしてまた、ここまでこの『甃路(ペエヴメント)スナップ』を読み進んできてわかるとおり、都市をキュビスム的にとらえる龍膽寺雄はモダン東京を構成する一面として、プロレタリアの存在をけっして見逃してはいなかった。

 O-La-Laの頭文字を取って「LL」。というわけで、ぼくはここに登場する「LL」について暫定的にバア「オララ」と考えてみたいと思ってはいるのだが、「オララ」が3文字に対して「エルエル」は4文字と略した方がむしろ長くなってしまっている矛盾! なんでも手の、目の、届くところで済まそうとするのはぼくの悪い癖。なかなか遭遇できないだけで、昭和5年の銀座の路地裏に「LL」なる店が存在していたとしてなんら不思議はない。なぜなら、その頃の東京にはなんと7,500軒(!)ものカフェー、バアがひしめいていたというのだから。

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 吉行あぐりの「山の手美容院」(設計/村山知義)昭和4(1929)年

 

#インターバル

 街頭の肖像画家をとりまいた人の輪を掻分けて、中から出て来た三人連れ。

『ちょいと見せたまえ。どれ。』

 と、一人が一人から紙片をひッたくって甃路(ペエヴメント)に足をとめ、絵と真物(ほんもの)とをツクヅク見較べて、さてつぶやくんです。

『なァるほど!…… こりア君、絵の方がよッぽど君に似てるよ。』

 

【二重の世界】 

 夜、銀座のペーヴメントに姿をあらわすモボやモガたちは、みなそれぞれに思い思いの「顔」をもつ。それは銀座という特別な場所でしか通用しない、いわば〝銀座の顔〟である。ほんとうの顔、日々の生活に疲弊した顔は、銀座に来る途中の市電の網棚に、あるいは円タクのバックシートに置いてきた。銀座では、〝銀座の顔〟こそが真物(ほんもの)になる。

 そんな〝銀座の顔〟を記念のひとつにもと、人びとはこぞってペーヴメントの肖像画家、街頭の似顔絵描きの前に立つ。それは、まるでディズニーランドを訪れた家族連れがコスプレして記念写真を撮るような光景である。似顔絵描きについて安藤更生は、彼らが「街道(ママ)へ、しかも夜の街頭へ進出したのは銀座がはじまりだ」と書く。さらに、それは「銀座に発生して東京だけに限るもので、大阪京都辺には全くその影を見ない」とも言う。もしそれが真実とするならば、これは銀座という街の「特殊性」を雄弁に物語ってはいないか。銀座は現実の世界であると同時に、また虚構の世界でもあった。モダニストたちはその特殊な世界を、とても器用に、二重に生きることができた。

 「こりア君、絵の方がよッぽど君に似てるよ。」ーー 夜の銀座では、絵が真物(ほんもの)を凌駕する。あるいは「モダン」とは、徹底してフィクションをフィクションとして生き抜く生の美学であるかもしれない。「もっとモダンに!」ーー ダンサーの女がそう言うとき、尖端的な女と古風な感情を引きずった鈍重な男とは別々の世界にいる。たとえ円タクのシートに隣り合っていたとしても。